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[コメント] リップヴァンウィンクルの花嫁(2016/日)

岩井俊二は“時代の空気”を切り取る作家だと思う。2010年代という時代を切り取った代表作と呼んでもいい。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画は、「私は何処にいるんでしょう?」に象徴される「自分の居場所の物語」であり、友人のキャバ嬢が言う「仕事なんてどれも一緒。一緒なら儲かる方がいい」に代表される「自己中心の時代の物語」で、2010年代という時代の空気を見事に切り取った作品である。という私の勝手な解釈で話を展開します。どうぞよろしく。

「自分の居場所の物語」は『エデンの東』の時代から連綿と語り継がれるテーマですが、そのほとんどが“青春”と不可分の関係にあったと思うのです。 でも今の時代は違うのです。

教員免許を持っている者が非正規雇用にしかなれない現状で、自分の“社会的な居場所”も得られず、それ故か自信も持てず(大きな声が出せない)、自信がないから道も拓けない悪循環。それでも社会の中で生きていくために体裁を繕わねばならない(結婚式の偽親族や眼鏡で扮装したコンビニバイトなど)。 「まるでオンラインショッピングで買うように」ワンクリックで手に入れた“居場所”は簡単に崩れる(振り返ってみれば、あの披露宴のなんとおぞましいことか)。 そして世間の嫌なものもタップリ見せられるのです。 実母の毬谷友子、義母の原日出子、そして生徒たち(特に女子)。悪意であったり、自己中心主義であったり様々ですが、嫌なものは主に人。人間関係(特に同性)。

そして彼女は、世間の風当たりをまともに受け、自分の居場所を見失い、逃げるのです。

黒木華ちゃんがメイドとして雇われたCoccoと過ごす時間は、主人公視点で見れば浦島太郎の“竜宮城”ですが、世間側から見たら“引きこもり”なのです。 彼女は引きこもり少女のオンライン家庭教師を続けますが、それが世間との数少ない繋がりであり、合わせ鏡でもある。映画ではPC画面の向こうを映さないことで、まるで自問自答にも見えるのです。

そしてもう一つの世間との繋がりは綾野剛。 天使の顔をして彼女の結婚生活を崩壊させた悪魔ですが、あのまま結婚生活を続けていても本当に幸せだったか?と考えるとやっぱり天使にも思えてくる。 一方的な悪でも善でもないキャラクター。これも今の時代。一昔前なら(今でも多くは)彼の裏の顔がオチだったでしょう。 また、これは邪推ですが、彼は(従来勧善懲悪だった)ロボットアニメの主人公なのに悩んじゃうアムロを名乗り、敵方なのに大人気のランバ・ラル(の友達)の名を出すのです。 つまり、今の時代、絶対的な価値観の下での“勧善懲悪”なんてないのです。それぞれの立場や見方、受け止め方で善と悪が異なる時代。天使と悪魔が隣り合わせの混沌の時代。実際この綾野剛だって、善悪が行動基準ではなく、自分の仕事に忠実だったにすぎません。

笑いもないまま話が少し横道に逸れましたが、もう少し横道の話を続けます。

“偽親族”のクダリが出てきますが、家族関係の変化も時代の象徴です。 「家族なのに他人みたい」というテーマは森田芳光が『家族ゲーム』(1983年)で提示しましたが、「他人なのに家族みたい」という擬似家族が近年多くなってきました。 園子温が『紀子の食卓』(2006年)で、三木聡が『転々』(2007年)で提示しています。こうした家族の変遷に真正面から挑んだのが黒沢清『トウキョウソナタ』(2008年)。そう考えると「家族のあり方の変容」というのはゼロ年代の象徴だったのかもしれません。

さて、やっと本題に戻ります。

黒木華ちゃんとCoccoがウェディングドレスでワチャワチャ遊んでベッドで戯れる場面はとてもいいシーンだと思うのですが、振り返ってみれば、黒木華ちゃんは夫と触れ合うシーンがありません(コトをイタシタ後という最小限の表現しかない)。 つまりこれは「ワンクリックで手に入れた“居場所”を失い、生身の身体で触れ合った“居場所”を見つける物語」とも読み取れるのです。

しかし“竜宮城”での時間は長く続きません。現実世界に戻らざるを得ないのです。 彼女は、先に述べた「生身の身体で触れ合うこと」や「擬似家族」、あるいは、遅まきながら娘の気持ちを理解しようと努めるりりィの姿(グッとくるシーンだ)といった“リアルな人の気持ち”という“玉手箱”を手にするのです。

そして、玉手箱を手にした(かつて引きこもっていた)主人公は、窓を開き、ベランダに一歩踏み出すという物語なのです。 完璧な脚本です。

ご清聴ありがとうございました。

余談

この話が「浦島太郎型」であることはタイトルで暗示されている。「リップ・ヴァン・ウィンクル」はアメリカ版浦島太郎とも言われる短編小説のタイトル。

余談2

なぜ「2010年代を代表する作品」と私が言っているかというと、震災を含めたこの10年の時代の空気を切り取る作品(映画に限らず)や言葉がまだ見つけられていない気がしているから。

余談3

どうでもいい話だけど、私の記憶では、岩井俊二が演出した日本映画専門チャンネルのCMが岩井俊二が黒木華ちゃんを撮った最初なんじゃないかと思う。当時無名だった彼女に注目した時だったからよく覚えている。あと、黒木華ちゃんと綾野剛は『シャニダールの花』だよね、石井岳龍の。ワハハハ。

余談4

希崎ジェシカは一目で分かったのに毬谷友子は全然分からんかった。

(16.04.23 渋谷ユーロスペースにて鑑賞)

(評価:★5)

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