[コメント] 野獣の青春(1963/日)
“平凡”と“奇抜”のバランスが非常に悪いのだが、もしかするとそれが清順の(少なくとも日活時代の)本質なのかもしれない。
会社(日活)が監督に求めているものはただ一つ。プログラムピクチャー。つまり、アイドル俳優で客が喜ぶ映画を作ること。そして鈴木清順も客の喜ぶ作品を作ろうと努めている。
だが、その「客が喜ぶ」視点が違うのだ。清順のそれは観客の意表をつくこと。
清順は誰も観たことないものを提供しようとし、会社は誰もが知っている安定したものを供給しようとしている。清順の(日活時代のと言い換えてもいい)作品は、常にこのせめぎ合いだ。
本作は、『殺しの烙印』で清順が完勝するまでの過程に於いて、この両者の「つばぜり合い」が最も盛んな時期の一作だと推測する。そのためバランスが悪いのだろう。
ま、あくまで「戦後史観」にすぎないのだが。
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