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[コメント] 斬、(2018/日)

テレンス・マリック的な抒情詩だと思ったのは俺だけか?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







正直に言うと、私は終始、他人事というか、絵空事に見えちゃったんです。 簡単に言うとテレンス・マリック的抒情詩。 そこに俺は存在せず、ただただ「はあ、そうですか」「御高説ありがとうございます」みたいな感じ。

蒼井優先生も池松壮亮君も中村ブランキー達也も役者は素晴らしい。演出もいつもの塚本節。とても壮絶な話です。 なのにちっとも痛みを感じない。『六月の蛇』の黒沢あすかの自慰行為の方がよほど痛かった。 何でなんだろう?

塚本晋也は、前作『野火』辺りから「死」に傾倒している気がします。

彼は元々「都市と肉体」をテーマにしていました。共通項としては「破壊と再生」。 その後、『双生児』を経て『六月の蛇』で肉体へ、続く『ヴィタール』ではより深く肉体の内部へ進み、『悪夢探偵』や『KOTOKO』では精神世界へ潜っていきます。 それらを経た上での「死」。 自身の「死」ではなく、意図するとしないとに関わらず他者を「死」に追いやる自己に対する苦悩。 つまり塚本晋也は「人体」という宇宙の深淵を探っているのです。いや、『ミクロの決死圏』とかじゃなくて。

それがね、宇宙と生命を語るテレンス・マリックに似てきてるような気がしたんです。 まだ“イッちゃった”前の、ちょうど『シン・レッド・ライン』辺りかな。 それが私には、生身の痛みよりも「哲学的」な印象になったのかもしれません。 そしてこれを書きながら、「塚本晋也をテレンス・マリックで例えるってどういうこと?」と自分でも思っています。

「ウルトラQ」とか江戸川乱歩とかが好きだった塚本晋也も哲学するようになったんだな、と感慨深く見る方がいいのかもしれません。 あ、そういや塚本晋也は黒澤明好きだった。なんだ、塚本晋也は志村喬をやりたかっただけか?

(18.12.09 渋谷ユーロスペースにて鑑賞)

(評価:★3)

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