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[コメント] スパイの妻(2020/日)

ヴェネチア銀獅子賞より、黒沢清がNHKのニーズに応えられるくらい大人に成長したことを祝福したい。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







バスの中で夫・高橋一生が蒼井優先生の耳元で囁きます。「亡命」。その刹那、窓から差し込む陽射しが一瞬強くなり、蒼井優先生がふーっと大きく息をつきます。

私はこういう映画的情景が大好物で、だから何度騙され裏切られても(?)、黒沢清の新作となれば欠かさず映画館に足を運んできたわけです。

しかし反面、これが黒沢清の悪癖なのです。登場人物の感情が分かり難い。 おそらくこの瞬間、彼女は覚悟を決めたのでしょう。 「分かったわ」とか「仕方がないわね」とか「覚悟を決めましょう」とか言わないのです。 何でもベラベラ台詞処理するより美徳ではありますが、ものには限度というものがあると思うのです。

しかし今回、蒼井優先生がふーっと大きく息をついたのは、大きな前進なのです。 だって今までの主人公(たいがい女性)は、風が頬を撫でたり、風が髪を揺らしたりしただけで「万事理解した」「私、分かっちゃったんですけど」という表現をしてきたのです。 彼女たち(とハッキリ女性に限定してしまおう)は「唐突に」走り出したり建物に入ったり納得したり突飛な行動に出たりしてきたのです。 ほぼ全ての黒沢清作品を観ているから分かります。ほぼ全ての主人公の女性たちは、その気持ちの流れが全く見えない突飛な行動をします。 なので「大きく息をつく」なんてのは、最上級に分かりやすい、NHK的国民の皆様にご理解いただける、黒沢清最大級の譲歩なのです。成長したな。俺は嬉しいよ。

ただ、全編通して、蒼井優先生の行動原理は全く分からないけどな(爆)

嫉妬から始まって、自己を正当化するために“大義名分”で化粧し、やがて自分でも何が“本心”なんだか分からなくなり、狂っていく話であるべきだったと思うんですよね。 原作は知りませんが、というか原作と言われているものはノベライズらしいので、原作の無いオリジナルだと思うんですよ。

だとすれば話は簡単。黒沢清は戦争も女心も描く気はさらさらないんですよ。 彼が描きたいのは「この世界は不安定である」ということ。 戦争よりもむしろ「先進的な考え方が世間の非難を浴びる」「この世界では狂っていないことが狂っている状態」などの現代批評を盛り込みたいのです。そして「コスモポリタン」を持ち出して、昨今の保守的自国第一主義を批判するのです。 もっとも、毎回(技術的な)テーマはあるようなので、おそらく今回はコスプレ劇だったんだと私は思ってますけどね。

NHKから「8K」を打診されて思い付いたアイディアが「フィルム」ってのも悪癖。フィルムに残された人体実験って『CURE』でやってなかったっけ?スクリーンをモニターに置き換えたら『回路』だし。加えて、廃墟だ煙だと「手癖」も満載。

そうか。 NHKのおかげで黒沢清初心者向けかと思っていたけど、「この世界は不安定である」というテーマと「女性は突飛な行動をする」の2点を押さえた上で、いつもの「手癖」を楽しむ、黒沢清上級者向け作品なのかもしれません。

(20.10.18 シネスイッチ銀座にて鑑賞)

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)太陽と戦慄[*] けにろん[*]

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