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[コメント] ドライブ・マイ・カー(2021/日)

福音を待ちながら。文学的には面白いけど、映画的にはちょっと鼻につく。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







長いアヴァンタイトルで「この映画は片眼が緑内障になるお話しですよ」と宣言されます。医者が言います。「もう一方の目が視力を補完してしまうので日常生活に支障がなく、病気の進行に気付きにくい。気付いたら突然失明していることがある」と。 一見問題ないように思えても、事態は後戻りできないほど悪化していることがある。 夫婦関係に於いても、母娘関係に於いても。

そして、家福もみさきも何かを「喪失」していて、それを埋めるのではなく、静かにゆっくりと「受け入れていく」。 村上春樹の主人公はあまり能動的ではなく、代わりに他人の話をよく聞きます。その意味ではこの映画も「聞く男(あるいは無口な女)が自ら話すまでの物語」とも読み取れます。

思っていた以上に面白かったのですが、それは文学的な面だったような気がします。映画的に面白いかと問われたら、んー、どうかなあ?好みの問題だけど、私は「頭では理解できるけど気持ちが乗らない」「ちょっと鼻につく」というのが正直な感想です。 ちなみに私はヤツメウナギのエピソードがめちゃくちゃ面白かったのですが、「ドライブ・マイ・カー」と同じ短編集に収められている「シェエラザード」という短編小説でした(<読んだことを忘れていた)。

多言語の舞台とか、手話の役者とか(ワーニャ伯父さんは詳しくないけど、あの役は不器量な娘だったと思う)、なんか「あざとい」。評論家受け良さそうだなー、カンヌ狙ってんなー、山田孝之より狙ってんなー感がある。 私は濱口竜介作品を『寝ても覚めても』しか観ていないのですが、その時唐田えりかが演じた、良く言えば「一途」悪く言えば「一見控えめ風だけど実は自分を曲げない面倒くさい女」と、映画自体が似ている気がします。何か、控えめ風だけど端々があざとい。正直面倒くさい。 あんまり好きなタイプじゃない。いっそ「あざとくて何が悪いの?」と開き直れる女の子の方が気楽だ。騙されたくはないけど。いや、田中みな実になら騙されてもいい。むしろ積極的に騙されたい(<何の話だ?)。

映画は「ワーニャ伯父さん」を巧みに利用しているようですが、私はチェーホフはよく分かりません。「ワーニャ伯父さん」は「それでも生きていく」物語の象徴なのでしょう。それはそれでいいんですが、その前に「ゴドーを待ちながら」を出すじゃないですか。ラーメンズも「後藤を待ちながら」というネタがありますし、筒井康隆も来客の度に「後藤か?後藤か?」というパロディーをやってる有名戯曲です(たしか押井守もパロディーをやってた気がする)。 なぜそこに「ゴドーを待ちながら」を持ち出すのか?

たしか原作では「家福さんの奥さん」と呼んでいて、「音」なんて名前はなかったと記憶しています。映画中「家福音って名前が宗教的で嫌がってた」みたいな(たぶんオリジナルの)台詞があります。要するに「福音」。

私の勝手な推測ですが、この映画、「福音を待ちながら」ということなのではないでしょうか。 冒頭に書いた通り、「喪失」を静かにゆっくりと「福音を待ちながら」受け入れていく物語。そして「それでも生きていく」物語。チェーホフも。後藤さんも(<どこの後藤さんだよ)。

(2021.08.21 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)

(評価:★3)

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