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[コメント] キング・オブ・コメディ(1983/米)

ヤベーやつ、こわい。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







2020年2月、休日の早稲田松竹で鑑賞。『レイジング・ブル』と併映。 最初のうちはしょぼくれたオッサンばかりだった映画館に、次第に若いカップルも押しかけて立ち見になるほど超満員だった。『ジョーカー』の影響でしょうかね。

1982年、マーティン・スコセッシ40歳頃の作品。 『タクシードライバー』の延長線上のような作品で、その「ヤベーやつ」感は『タクシードライバー』より分かりやすいけど、暴力的でない分「危険度」は『タクシードライバー』より分かりにくい気がします。 危険だよ、これ。非常に危険。終始、気持ち悪かった。

この映画で私が興味深いと思ったのは、「テレビ」の影響力です。

ルパート・パプキンは「テレビに出たら人生が変わる」と思っているわけです。 寄席で腕を磨くでもなく、「テレビでネタ披露したら爆笑間違いなし。人生一発逆転。俺、天才」と思っているわけです。ヤベーやつ。

シドニー・ルメット『狼たちの午後』(75年)の主人公は、テレビに(というか「メディア」に)よって意図せず祭り上げられてしまいます。 長谷川和彦『太陽を盗んだ男』(79年)は、プロ野球のテレビ中継を最後まで放映しろと要求します。

この頃、テレビの影響力が最も強かった時代だったと言っていいでしょう。 テレビ普及の影響で映画が斜陽産業に転じた1960年代から10年以上が過ぎ、映画はテレビを「目の敵」にするだけの状況を超えて、物語のテーマに据えるようになったのです。

しかし私はどこかで読んだ気がします。 テレビが一家団らんの一ツールであったのは70年代半ば頃まで。その後は、テレビが一家団らんの中心だったのではなく、もはやテレビが無ければ一家がまとまれない時代になっていた、という説です。

この説はともかく、この映画で描写されるテレビは一家団らんとは無縁で、むしろ「孤独を増幅させる装置」として存在しているように思えるのです。

果たしてラストは現実か?妄想か?なんてことがよく言われるようですが、私はそもそも、時折入る母親の声すら現実かどうか怪しいと思うんですけどねえ・・・。

(20.02.24 早稲田松竹にて鑑賞)

(評価:★4)

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