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[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)

アナは生きている
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







2009年1月、ニュープリント上映を鑑賞。たぶん8年ぶり8度目の鑑賞でコメント追記。どれだけ薄汚れた大人になったか読み比べるテスト。 結果、えらく長くなってしまったから読まなくていいよ。

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(おそらく6、7年前のシネスケ初期のコメント)

「生涯最も好きな映画」

初めて観たのは、今は無き有楽シネマ。『エル・スール』公開記念の再映だったと思うが定かではない(シネ・ヴィヴァン・六本木(これも今は無い)からの続映という説の方が正しいようだ)。大学生になったばかりの私が上京して初めて観た映画がこれだった。

この映画を選んだのは偶然ではない。中学・高校としだいに映画への興味を増しながら、田舎は映画館の無い街。電車に小1時間揺られて観る地方都市での映画は大作メジャー系ばかり(レンタルビデオ屋は今ほど普及してなかった)。私はひたすら情報誌を読みあさり、上京したら観たい映画リストなんぞ作り、映画への憧憬を膨らませていた。その筆頭がこの映画。

住んでいた町田から右も左も分からない有楽町へ出向き、熱い情熱と情報誌の地図だけを頼りに(駅前でよかった。映画館を探して度々迷子になるほど田舎者だったから。)やっと観た映画。これを皮切りに年間100本を超す映画を見続ける大学生活を送ることになる。

今となっては何故この映画を観たかったのか思い出せない。ただ「観てよかった」という想いだけが残っている。その後、どこかの名画座にかかれば足を運び、テレビ放映も観たし、『マルメロの陽光』公開記念の再映にも行った(その時に入手したポスターは今でも部屋にある)。静かで力のある画面とアナの瞳に憧れ、懐中時計を買い、お父さんの煙草の吸い方まで真似し、少しでもこの映画を身近に感じたかった。

もし多感な時期にこの映画に出会っていなければ、もう少し違った映画ファンになってしまっていたかもしれない。そして、このReviewを書きながら、あの頃あんなに純粋に映画に憧れた自分がいたことを思い出した。そして、いかに自分が薄汚れた大人になってしまったことか。DVDを購入した今では観ようと思えばいつでも観ることができる。だが、「この映画が観たい」と渇望したあの時は戻って来ない。

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このReview、一つのコメントに触発されて書いたのだが今は削除されてしまっている。でもそのコメンテーターとはこの映画に関して2、3やりとりして、その後も親しくさせてもらっている(と勝手に思っている)。私にとって、映画ばかりかシネスケにも深入りする要因となり、二重の意味で幸せな出会いのきっかけになった作品でもある。

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(ここから新しいコメント)

「生涯最も好きな映画」というより「生涯最も想い出深い」「愛しい」映画と表現する方がしっくりくるかもしれない。あらためて観ると完成度が高いとは言い切れない部分も目につくのですが、その隙がまた愛しさを増す要因でもあったりする。 もちろん大好きな映画であることに変わりはなく、例えば二人の少女が列車を見送るシーンなんかあまりにも美しくて、「この画面を切り取って持ち帰りたい」とさえ思った。あ、DVDでキャプチャすればいいのか。

今さらながら、覚えていた以上に「死のイメージ」の強い映画だと気付いた。 背景であるスペイン内戦後のファシスト体制を意識しているのでしょう。

母親の書く手紙で、「内戦以来(あなたの)消息が分からず」「(私は)夫と娘と生きながらえています」といったフレーズが出てきます。夫と娘の名前だけを書いていることから、相手の男(と思われる)も家族のことは知っているのでしょう。 そして、届くかどうかも分からぬこの手紙は、映画的あるいは文学的には「自分自身のために書いた手紙」とも読み取れるのです。

一方父親も、妻の不実に気付いています。寝室を共にしない描写がそれを物語っています。 既に子供が二人産まれていることから、その後の関係(不倫)なのでしょう。 そんな冷めた夫婦間、子育てだけで繋がれた家族を、彼はミツバチの生態描写に重ねます (実際この家の窓はミツバチの巣のような格子模様だ)。 これもまた、映画的あるいは文学的には「自分自身のために書いた」と読み取れます。 ただ彼は、「それを見た者は驚き、恐怖する」と書いては、その主観的なフレーズを削除し、客観的な描写に努めようとします。大変抑制的な人物なのでしょう。 (ラジオ(無線?)のシーンから、何かの形で闘争に関わり、おそらく敗れた側の加担者だったと推測される。)

そんな抑制的な父親が眼を見開くのが食卓シーン。 私は『家族ゲーム』と並ぶ衝撃的な食卓シーンだと思っているのですが、音と表情だけで演出するその抑制っぷりは『家族ゲーム』の対極とも言えます。 (よく見ると全景を一切描写しない異様なシーンでもあるのですが、今回そのことには深入りしません。)

さて、そんなこんなでアナが倒れてから、医者が登場します。 今まであまり気付いていなかったのですが、この医者、口調や立ち位置がやたら親密なんですね。 その医者が言うのです。「アナは生きている」と。その言葉を聞いた母親は、あきらめに似た表情を浮かべ、崩れそうになるのです。 よく考えるとおかしなシーンです。

おそらく、この医者は妻の不実を知っているのでしょう(あるいは狭い村中が知っているのかもしれない)。 このシーンの直前に、母親が手紙を燃やしているのですが、訃報を知らせるものだったのか送った手紙が宛先不明で戻ってきたのか今までの手紙を捨てたのかは分かりません。 ですが、相手は死んでいる、そしてそれを医者も知っている、と解釈すると全てつながるのです。

「アナは生きている。」 この言葉は、「死んでしまった過去の人間より、今、生きている人間(家族)を見つめなさい」という医者の助言なのです。 だから妻は書斎で眠る夫の元へ向かったのでしょう。

今回は、アナに目が行きがちなこの映画で、あえて裏ストーリーを読み解く試みをしてみました。

(評価:★5)

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