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[コメント] 第七の封印(1956/スウェーデン)

もう何を言ってるんだかワカンナイ。けど、何が言いたいのかは分かる気がする。てか、RPGの元祖だろ?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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冒頭いきなり「子羊が第七の封印を解いた時、半時間ほど静寂が訪れた」とかなんとか言われたところで、もうね、何を言ってんだか分かりませんや。いやまあ、ヨハネの黙示録なんですがね。七人でラッパ吹くとか言われてもねえ、知らんがな。 さらに言うと、キリスト教的な引用ばかりでなく、土着の寓話(民話)とかも入ってると思うんですよ。何が何のメタファーなのやら、もう分からん。

しかし、何を言ってるのか分からないけど、言いたいことは分かるような気がするんです。 私はベルイマン研究もしてなければ、文献も読んでないので、あくまでこの映画のみから読み解いた勝手な(間違った)解釈ですけどね。

死神とチェスをするじゃないですか。 この死神、死神のイメージってだいたいこんなもんなんでしょうけど、これ、カオナシに影響を与えてるような気がするんです。話がいきなり脱線するけど、今にして思えば、奔放なイメージの氾濫といい、『千と千尋の神隠し』って『第七の封印』的なことだったのかもしれませんな。 脱線ついでに言うと、スピルバーグが好んで使う「(何かを)見る側の顔にカメラが寄る」ショットって、ベルイマンが原型だと思う。

話を元に戻して、死神がまとわりついているということは、死期が近いというわけで、それまでの猶予期間で何かしようとするわけですよ。要するに黒澤の『生きる』ですな。 そこで主人公は、新しい公園でも作ればいいのに、神の存在を確認しようとするわけです。 で、神の存在を確認する旅が、冒頭で宣言している通り「子羊が第七の封印を解く」旅と重なるんだと思うんです。本当は、子羊=キリストと解釈されてるそうですけどね。

その旅の途中、様々な登場人物が隊列に加わるわけです。要するに「桃太郎」。いわばドラクエ的RPGですな。 この人物たちがまた、魅惑的なキーワードなんですよ。騎士、鍛冶屋、旅芸人、道化師、不貞の女、言葉を発しない女、魔女(扱いされた女)、盗人、大天使ミカエルの名を持つ赤ん坊。これら何やら意味ありげな人物たちの投入が、物語を見えにくくする。話が一直線じゃない。素直に鬼退治に行ってくれ。

たぶん、何やら意味ありげの人物たちも、本当に意味があるんでしょう。 最終的に死神に連れられて「死の舞踏」に至るわけですが、この「死の舞踏」もまた寓話か何かで意味があるんです、たぶん。ちーとも分からんけどね。 しかしこの「死の舞踏」、私の見間違いでなければ、ラッパ吹きと同じ7人(死神含めて)いるのです。ま、見間違いだと恥ずかしいのですが。

彼らは「子羊=生贄」というのが私の勝手な見立てです。 彼らが生贄となったことで、この映画の後、第七の封印が解かれ、「半時間の静寂」が訪れるのでしょう。それは、戦争の、あるいは疫病の終焉を意味するのかもしれません。赤ん坊ミカエルと旅芸人夫婦もきっと無事でしょう。しかしそれは「一時の静寂」でしかないのです。

第七の封印が解かれた後は、イエスが再臨して「最後の審判」が行われるそうです(この映画で引用される黙示録は、第6章と第8章がゴッチャになってる気もしますが)。

この映画の制作が1957年。映画の舞台は800〜900年前。違和感のない時代考証も立派なんですが、約10世紀も後の今日、未だに「最後の審判」はないのです。 今はまだ「一時の静寂」の状態のままなのか、あるいはまだ第七の封印は解かれていないのか分かりません。この映画は「予見」だけで終わります。

「この映画の続きは今の世界だ」とベルイマンが言ってるような気がします。千年近くも過去を舞台に、彼が撃とうとしているのは“今”のような気がするのです。私の気のせいでしょうか。気のせいでしょうな。

(13.07.28 渋谷ユーロスペースにてデジタルリマスター版を鑑賞)

(評価:★4)

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