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[コメント] ヤンヤン 夏の想い出(2000/台湾=日)

エドワード・ヤン神の視点
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







面白かったのは、ヤケボックイに火がついたお父さんと、恋に目覚める娘と息子の姿がオーバーラップする所。

正確にはカットバックか。オーバーラップやフェード、ズームといった映画的な手法はほとんど用いていない。 総てカットつなぎ。これでカメラが固定なら小津の手法なのだが、そんなことはどうでもいい。

私が面白かった上記のシーンだけは物語が動いているように感じる。それは、そこだけショットとショットのつなぎが意味を持っているからだ。「モンタージュ」という基本的な映画手法がここにはある。

結局私が面白いと感じたのは映画の技法による部分である。ああ、私は何と技法に毒されてしまったことか。

さらに言えば、脚本の技法もこの映画は用いていない。物語の語り部がいない。それは決してナレーションという意味ではなく(むしろナレーションは技法としてダメな部類だと言われている)、「誰の視点で描かれた物語であるか」という点が欠如している。

そういった意味において、配給会社の儲け主義剥き出しの「夏の想い出」も最低だが、それ以前に「ヤンヤン」というタイトルもいかがなものかと思う。これは決してヤンヤンを描いた話でもなければヤンヤンの視点から描いた話でもない。

この映画は第三者の視点によって貫かれている。

もちろんそれは監督の視点なのだが、この物語の登場人物ではない。つまり監督の視点=観客が把握する物語は、登場人物の総てを超越したいわゆる“神の視点”になっている。しかし監督は万能の神となることを恐れたのか、意図的に「分かりにくく」画面を切り取っている。つまり凡百のハリウッド映画的な「ストーリーの進行上の神の視点」とは明らかに異なる。これは何を意図しているのか。

私が思うに、この映画、スナップショットの寄せ集めなのだ。それはまるでヤンヤンが撮影した人の後ろ頭のスナップショットと同じ様に。いや、この作品そのものが、人の後ろ頭を写し撮った映画なのかもしれない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)甘崎庵[*] YO--CHAN まご イライザー7

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