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[コメント] マルサの女(1987/日)

21世紀にいまさら語る伊丹十三論
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







すっげー久しぶりに再鑑賞。少なくともシネスケにコメントを書き始めてからは観ていない。 なぜならば、伊丹十三あんまり好きくないから。いや別に嫌いじゃないんだけどね。

この映画、日本映画史に残る1本であることは間違いない。けど、21世紀のいま観ると「時代だなぁ」と感じてしまう。逆に今だから分かることもある。 「当時は最先端の映画だったんだろうな」と思いがちだが、当時でもどこか垢抜けない感じはあったんだよ。

つまり伊丹十三映画は、「今まで見たことない話」という“先進性”と、今村昌平に代表される「人間の欲や業」を描く邦画の“典型的泥臭さ”の両面を持ち合わせていると思うんです。 言い換えれば、「今までなかった素材」を「今までの手法で料理」した映画。明治時代のすき焼きみたいなもんだ。今までなかった牛肉を醤油とみりんで煮るという。 んで、その両者のバランスが一番よくとれた「美味しいすき焼き出来ました」というのがこの映画だと思う。 初監督作『お葬式』は泥臭さの方が強く出ていたように思えるし、これ以降の作品は(『スーパーの女』が分かりやすい例だが)「目新しい素材=情報先行型」という印象になっていく。

マルサの女』が“時代”を感じさせる最大の理由は、バブル期を背景にしていることにある。それが単なる背景ではなく、バブル期という時代の中の「人間(の欲や業)」を描いているからこそ、不景気と言われる今観ると「時代だなぁ」と思ってしまうのだ。 そういった意味では、彼の“泥臭さ”は“先進性”と不可分であり、“先進性”も“時代”と不可分であったと言えるかもしれない。

正直言って、昔観た時は「ずいぶんアッサリ山崎努が落ちるな」と、ラストに不満を持っていた。 改めて観て気付いたのだが、これは「男と女の物語」だったのだ。 山崎努が宮本信子の身分証を掴んだ“ピンと張った白い糸”に象徴される男女間の緊張から始まり、津川雅彦と岡田茉莉子のサイドストーリーを折り込みつつ、男と女の関係の中で事態が進行し、終焉する。 「脱税を巡る男と女の物語」。これはそういう映画だったのだと、いまさら気付いたよ。

(12.10.07 CSにて再鑑賞)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)緑雨[*] ペンクロフ[*] ダリア

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