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[コメント] メゾン・ド・ヒミコ(2005/日)

田中泯演じる卑弥呼の存在感が秀逸。気高く美しいゲイの父をここまで演じたからこそ、映画が成功したと言える。
のぶれば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作品は真摯にゲイを捉えていたのではないかと思う。 ゲイが脇役でコメディチックに、或いは悲劇的に演じる作品とは違い、ゲイを正面から見ていたと思う。それを可能にしたのは卑弥呼を演じた田中泯だろう。

おそらく、ゲイがみても憧れる人を田中泯は演じていた。そうした他のゲイ老人とは違う圧倒的な存在感があったからこそ、オダギリジョーが演じた春彦との関係が納得できたのだろう。また、柴咲コウが演じた沙織がゲイを受け入れていくのも無理のない展開になったのだと思う。

観客は、ゲイをからかう少年たちのように映画を見ただろうか。

それとも、春彦に圧倒されて傾倒した少年のように映画を見ただろうか。

私は後者に近い。卑弥呼の登場の瞬間、圧倒され納得してしまったから。

観客が問われたのは、ゲイを受け入れるかどうかではなく、卑弥呼を、春彦を受け入れられるかどうかだったろう。

観客は沙織がゲイ老人や春彦、卑弥呼を受け入れていくより先に、卑弥呼を通してゲイを受け入れている。そうでなければ、沙織の変化を白々しく思えたのではないだろうか。そして、この映画に共感するのは難しかったのではないだろうか。

卑弥呼の気高さ、美しさは、一つには人生の自信から来ていたように思う。離婚をし、娘から毛嫌いされる存在でもあるが、社交界に君臨した自信、死を目前にしながらそれを恐れない自信、そうしたものがある。ゲイかどうか以前に、それらが人間としてどうかを観客に問う。その説得力が、この映画の屋台骨だ。そして田中泯の身のこなし方や、表情は、下手な女性より女らしかった。そこにゲイとしての誇りを感じられた。それらを演じきった田中泯を素直に賞賛したい。

オダギリジョーの演技も、田中泯の演技があったからこそ生きているのだろう。卑弥呼の恋人ではありながら、専務やパトロンの半田と寝たという一方で、沙織を抱こうとしても抱けなかった。そこにゲイとして社交界に君臨しながら、娘を持った卑弥呼との違いが浮かびあがり、若く美しいけれども未熟なゲイ、春彦を納得させる。 

柴咲コウの演技も同様だろう。当初は嫌悪感ばかりであった、ゲイの父親(母の夫)の生き様を知るほどにに、心を開いていく。母が会いに行ったという父に心を開いていく過程が納得できるのは、彼の存在感ゆえであろう。

他のゲイ老人が、ありがちなゲイのイメージを踏襲していたこと、ゲイ老人ホームをからかう少年や、ディスコでゲイを馬鹿にする知人の登場なども、彼の気高さが際立たせたように思う。

たそがれ清兵衛』を見て以来、気になっていた田中泯だったが、今回の作品で、その演技の幅広さに驚かされ、感服した感じなので候。

(評価:★4)

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