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[コメント] 歩いても 歩いても(2007/日)

歩いても歩いても、行き先も無く、人々は心にわだかまりを抱えたまま、家族として生きていく。081013
しど

タイトルは、作中で引用される歌「ブルーライトヨコハマ」の一節。これが老夫婦のわだかまりの一つであるが、登場人物達の歩くシーンも無数にあるので、意味深な歌詞なども合わせて、いろんな意味を持たせているんだろう。

正直、この作品、夏に帰省した家族がただただ描写されるだけで、見ているとだれる。自分自身の環境とは全く違うのだけど、どことなく似ている風景になじんでしまうからだ。

久しぶりに帰った実家は、風呂のタイルがはがれていたり、ところどころ朽ちているのに気づく。宿主の居なくなった自分の部屋は模様替えをされてどこか居心地が悪いのだけど、荷物の中には自分の過去が保存されていて、何となく眺めてしまう。そうして、久しぶりの我が家や老いてしまった両親の姿にも慣れると、子供の頃の家族に戻ってしまう。つい我がままをいって親を困らせたり、親も思ったことをそのまま口にするので、それを受けたこちらも感情を露にしてみたり。それらが一通りすると、帰省に飽きて時間を持て余す。この作品を見ていても、同様な感覚になるのかもしれない。

だけど、この作品の面白さは、見終えて劇場を出た後の帰路に感じられる。作中の老夫婦が自分の両親だったような錯覚にとらわれるのだ。あの風景が、自分自身のひと夏の思い出のようになってしまう。ああ、もう一度、あの、口で文句をいいながらも、手だけは動いて家事をしている母に会いたい、そんな愛おしい気持ちになる。

作中の家族は、長男を事故で失った喪失感を共有している。似たような設定では、アメリカ映画の『普通の人々』がある。事故で優秀な兄を失い、残された凡庸な弟の苦悩がそのまま家族関係に投影されたその作品は、主人公が精神的に解放されることで物語が終結した。しかし、日本の『歩いても歩いても』は、諸行無常の日常がそのまま物語になっていて、苦悩を抱えたままで解放されたりはしない。

次男の嫁は再婚であり、亡き夫を父とする息子との三人家族の将来もわだかまりを持つだろう。次男自身失業中で、わだかまりどころか前途多難だ。だけど、そのことを当人達は無理せずにやりすごそうとしている。「あきらめ」でもなく、ただ事実を受け入れて、先を見つめている。こうしてまた一つの家族ができあがる。

リアルな生活は良いことばかりではないし、人々も善意だけで生きてるのではない。当然ながら、理想通りに事が運ぶわけでもない。悪意から文句をいい、不満な日常を生き、ただただ歩き続けることが人生そのものなのかもしれない。そして、時々、何気なく、過去の断片を探り当てて、「これ、なんだっけな?」と思い出してみる。その瞬間が「幸福」なのだろう。この作品は、そんな「幸福感」に満ちている。

今後、お盆の定番映画として、毎年、テレビ放映して欲しいような作品。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)づん[*] ジェリー[*]

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