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★4スタンド・バイ・ミー(1986/米)探しに行くのは何故か死体。でも、それがよい。[投票(1)]
★4クラム(1994/米)伝説的コミック作家ロバート・クラムのアメリカ一イケてない家族。[投票(1)]
★4オルフェ(1950/仏)鏡面は冥界への入り口。黒い死の使い、マリア・カザレス[投票(1)]
★4風(1928/米)吹きすさぶ風の轟音が聴こえてくる、サイレント映画。[投票(1)]
★4めまい(1958/米)眩惑の美、その虚無。[投票(1)]
★4キートンのセブンチャンス(1925/米)生身のニンゲンが虫ころのように転がって疾走していく映画。[投票(1)]
★4欲望(1966/英)催眠と覚醒のはざまを行ったり来たり。仄かに怖い。[投票(1)]
★4スター・ウォーズ 帝国の逆襲(1980/米)相克のドラマあってこそ。[投票(1)]
★4書かれた顔(1995/日=スイス)「黄昏の夢、あるいは夢の黄昏」。人が何者かを演じることの不可思議。[投票(1)]
★4機動戦士ガンダム II 哀・戦士編(1981/日)「あのひとに勝ちたい…」やら「マチルダさぁん!」という、アムロの青春の叫びがあります。[投票(1)]
★4太陽の墓場(1960/日)川又昂のカメラによる鮮烈な色彩。炎加代子の精悍な美しさ。[投票(1)]
★4アメリカの影(1960/米)飽くまでも脚本という楽譜の上(※)で、しかし即興なメロディやリズムとして揺らぎ、蠢く人間達の影。少なくともこの映画にあっては、人間とは映画であり、映画とは人間だった。 [review][投票]
★4ワンダフルライフ(1998/日)「記録と記憶は違いますから…」 [review][投票]
★4アメリカン・ユートピア(2020/米)何も知らない。しかし面白い。お客様は神様です、ならぬ、神様がお客様ですという、舞台と客席の彼我の懸隔、その不即不離な相関の機微は、言わば映画そのものの機微ではないか。見られる、見ている、その相関は、一方が一方を呑み尽くすものであってはならない。視覚と聴覚のシンクロが映画の虚構として現前する時、それは映画の真実を生き始める。[投票]
★4それから(2017/韓国)時制交錯の時系列整序が、やりとりされるコミュニケーションの内容自体によって担保されることの際どさ。言わば剥きだすテクストによってのみ支えられている映画。その中で、恐らくはこの映画のモノクロである所以、つまり雪と女優のイメージが交錯するあのさりげないショットの、その一点突破的な映画への欲望は、是とされるものではないか。[投票]
★4カスパー・ハウザーの謎(1974/独)「概念が無い」とは、こういうことなのか。鄙びたドイツの田園風景、そこに溢れる淡白な陽光はどこまでも美しく、それが遂にカスパー・ハウザーその人の心には達し得なかったことが、逆説的に透明な悲哀として残像する。言葉をあたえれば失われる他ない印象そのものをブルーノ・Sは体現。映画はアウラを刻印する。[投票]
★4仕組まれた罠(1954/米)文学原作もうなずける片鱗は随所に見られる。各人各様の運命のなりゆきが性格悲劇的。中年男の愛の捻じれた末の妄執も、悪女ぶらざるを得ない女の悲哀も、あるいは思いの届かない少女の純情も。冷めたスープ、愛と妄執を分かつメモ、あるいはフライング気味に溢れる涙。列車というのは画面を縦横に活かせるからこその装置でもあるのかも。[投票]
★4怒りの河(1952/米)山越えを見続けて、つくづく「西部の馬車(?)って丈夫!」と思わされる。また船という巨大な移動装置の映画性(桟橋から離れていく船縁)。ジェームズ・スチュワートの善人なだけでない、秘めたる力を飽くまで間接的に示す演出の妙。空間や時間の制限を有機的に活かしたシナリオが何より綿密。[投票]
★4OK牧場の決斗(1957/米)トータルにハイレベルなウェスタン…に思える。どことなくイメージのダブるバート・ランカスターカーク・ダグラスの相棒関係の妙。べたつき過ぎない男女関係の綾。決闘は飽くまで私闘とするアメリカ人的モラル。勿論青い空と黄色い大地。何気に小奇麗な女性の服飾や調度品。ついでに、何度も出てくる道標。[投票]
★4かぐや姫の物語(2013/日)風立ちぬ』が選ばれた人の物語なら『かぐや姫』は選ばれなかった人の物語。姫が桜の木の下で踊りまわる至福(である筈)の場面で、しかし何故かジャンプカット。編集される現在=運動。這入り込む自意識の間隙。現在をさえ十全に生き切ることの出来ない不幸。[投票]