コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 単騎、千里を走る。(2005/香港=中国=日)

孤独に孤立した孤高の美学。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







高倉健の「孤高の美学」は、周囲の役者さんや演出によって支えられていたんだなぁ、などと当然のことを改めて思い知らされた。この映画での高倉健は、寡黙なくせに強引なキャラクターこそこれまでの高倉健と変わらぬものの、言葉の通じぬ異郷にあって周囲と幾たびも拙いコミュニケーションを重ねざるを得ず、いつものような(?)「孤高の美学」を気取ることが出来ない。だからこの映画の高倉健は、どこか居心地が悪そうに見えないこともない。異郷の高倉健は、いつもの高倉健ではない。が、翻って考えれば、この映画を見ることの楽しみは、むしろそのことの微妙な不調和を見ることの内にこそある、と言えないこともない。たとえば、携帯電話やビデオカメラなどの現代的なデジタル機器を何故か自在に使いこなす高倉健。たとえば、逃げ出した子供を追って「ちくしょう」とか小声で毒づきながら探し回る高倉健。たとえば、幾たびも幾たびも過度なモノローグで以て己の内面を説明する高倉健。これら見ているこちらの微笑を誘わないこともない高倉健は、これまでの日本映画の中では見られなかったし、またこれからも見られることのないだろう高倉健ではある。(チャン・イーモウはホントに健さんをリスペクトしてるんだろうかと疑問にすらならなくもない。)だからどうしたのだ?と言われたら困るが、長らく自分のテリトリーだけで生きてきた男がそこから一躍飛び出し何事かを成し(とは言っても成し遂げられるのは“出来事”ではなく内面の補完なのであるが)、そしてまた自分のテリトリーに帰っていく話であるこの映画では、高倉健という役者本人もまさにその話と同じことを果たしていたわけで、それを見ることはやはり何某かの楽しみにはなっていると思うのだった。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。