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[コメント] アバター(2009/米)

技術によってコーティングされ再演された「人間」の物語。それが未知との遭遇でないことだけは、確かなこと。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*(『コンタクト』のネタバレあり)

初の本格的実写3D映像がまずはいちばんの売りの映画。だが正直、その3D映像は、今この記憶の中では、さしてこれまでの平面映像と印象が異ならないという実感がある。(今この記憶の中で脳裏に映じている映像は平面映像のそれでしかないということ。)これでは3D映像の意味もないではないか、という気がするのだが、どうだろうか。

しかしその映像世界そのものは、確かに絢爛豪華で、ハリウッド超大作に相応しい内容ではあったと思う。観ている2時間半の時間を、飽きずに観ていけたというだけで、それはそれなり(「ハリウッド超大作」なり)の内容を有していたとは言えると思う。そしてそれを支えていたのは、紛れもなくVFXの技術。とくに苦心したという異星人の顔の表情は、CGではあるけれど、しかしそこに確かに「人間」の表情が読み取れて、感情移入がスムースに出来た。そのようにして、「ハリウッド超大作」としてのこの映画は、成立している。

そう、「ハリウッド超大作」は、全てを「人間」にする。あるいはでなければ「怪物」に。それが多分、「ハリウッド超大作」の他者に対する態度なのだろう。たとえばこの映画では、他者であるはずの異星人は始めから文字通り異星人(CG技術)の皮を被った人間(役者)なわけで、そこに物語の中でもまさに異星人の皮を被った人間である主人公が参入していくのだから、これは全く始めから終りまで「人間」の物語なのだと言っていい。この異星人は欧米人に虐殺された世界中の先住民のイメージを負っているというのは中学生でも判ることだが、今では誰でも知っているその「人間」の物語を、新たに技術の皮でコーティングして見せているわけだ。だがそれは、そのコーティングの見事さに見惚れてみる以外に、得るものは果たしてあるのだろうか。

たとえばそこで、『風の谷のナウシカ』を思い出したりもする。あの世界では、他者とは人間ではなく、異形の蟲達だった。異形の蟲達は自律的な生態をもち、しかし人間と同等の、あるいはそれ以上の尊厳でそこに存在していた。それはともすれば、作者・宮崎駿の人間への絶望の裏返しなのかも知れないが、それでもそこでは人間が人間以外の他者と共に存在することの意味と意義が、考えられていたように思う(とくにコミック版)。而してこの物語は、ある意味では健やかに、けれども恥ずかしげもなく「人間」への楽観的な信頼に裏打ちされた物語だ。そしてそれは、「ハリウッド超大作」が幾度となく描いてきた物語の再演だ。それを技術でコーティングして見世物として展開したこの映画は、それとしては面白い。面白いが、しかし決してそれ以上のものでもない。

以前『コンタクト』という映画はあった。あれは(恐らく原作から引き継いだ精神なのだろうが)他者を敢えてそのままの人間の姿で登場させながら、けれども遥かに遠い隣人の存在をも感得させようとする、全く離れ業のSF物語だった。ハリウッド超大作でもそういう例外もあることはある。本当の「新しい」「見たこともない」物語や世界というものは、ああいう方法論でしか描けないのではないか、と思わなくもない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ゑぎ[*] 煽尼采 Orpheus 3819695[*]

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