コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] Helpless(1996/日)

アタマでっかちの行詰まりは、息詰まり?

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







数年前、パッケージに浅野忠信が。だからビデオを手に取った。

ギターのストリングスに導きだされるように"l+p+l"と静かに浮かびあがってくるタイトルに、訳も分からず引き込まれた。九州のとある寂れた田舎町の夏。「郷愁」というイメージに回収されるそれではない、退屈さに呑まれ、気だるい空気が充ちたその風景に引き込まれた。浅野が走らせる軽二輪の軽快さ、その走行の気持ちよさ。彼の部屋の窓から見える廃工場。その彼がドライブインでパクついているナポリタンと瓶のコカ・コーラの取り合わせ。そこに現われる「帰還した男」光石研が巻き起こす暴力。暗いトンネルの中からポラロイドのシャッターを切りながら姿を現わす元イジメられっ子(?)斎藤洋一郎。その軽口に「くらすぞ! きさん!(殴るぞ! 貴様!)」と応える浅野、その九州訛り。峠にある(これまた)ドライブインで突発する暴力。それを誘発することになる、禿げオヤジの諏訪太郎と慇懃なオバサンの伊佐山ひろ子(黒い服が似合います)。

デカいハナシをミニマルに語ろうとしたという監督の意図なんてちっとも判らなかったが、全編に充ちる退屈さ、気だるい空気、そこで突発する暴力。刻み込まれた細部には引き込まれるモノがあった。

体制(force)不在の倦怠とキレる若者の暴力(violence)。浅野だからしっくりきたということもあるのだろう。この頃の彼にはキレる若者がよく似合った。だが、その暴力にはどうしても切実な力がないように思えてしまう。彼の暴力は(不在の親父を探して歩く光石と同様に)「敵」を見出すことのできない者のやり場のない自暴自棄でしかない。それは仕方ないとして、その苛立ちを行きずりの他人にぶつける彼の暴力を空回りさせるこの映画の視座は、自己の独善的で観念的な行詰まりをセカイの閉塞と取り違えているところから生じているのではないか。この映画の視座は本当に息の詰まるような閉塞を生きている者のそれだろうか。本当に息の詰まるような閉塞を生きているなら、暴力は端的にそれ自体として関係性への解放であるはずではないのか。暴力さえもHELPLESSな閉塞へと回収するこの映画を、見たひとはどれだけ切実な映画として受け容れたのだろうか。自分にはむしろ、これはHELPLESSな「映画」のセカイに自足してしまっている映画なのではないか、そう思えた。(それとしての気持ちよさはたしかに息衝いている。)

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)muffler&silencer[消音装置] kiona[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。