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ハイタカさんの人気コメント: 更新順(1/23)

人気コメント投票者
★4コンタクト(1997/米)宇宙の果ては、私の果て。 [review]ぽんしゅう, Orpheus, くたー, NAMIhichiほか22 名[投票(22)]
★2ワンダーウーマン(2017/米)男性化した女性、あるいは女性化した男性としての「女戦士」。 [review]がちお, 月魚, けにろん, 赤い戦車[投票(4)]
★4ニースについて(1929/仏)開巻一番の大俯瞰ショットからして何故か視線をつかまれる。カット割は素早く展開するが、イメージの連鎖的なリズムを刻むように反復がなされ、同時にカット同士の反響がドキュメントとしての内実を担保する。見る欲望がそのまま撮る実践に至ったかのようなアマチュアリズム的幸福。ゑぎ, 寒山[投票(2)]
★5新学期 操行ゼロ(1933/仏)聖性降臨の映画。乱れ舞う羽毛と進み行く子供達の数瞬にはグロテスク性が聖性に転げて化け遂せる如き倒錯的で恍惚的な官能性が迸る。少年は是非ともフルちんフル回転でバック転せねばならない。形骸と化した聖性は死生の内実を活きるグロテスク性によって新たに生まれ変わり、即ち革る。寒山[投票(1)]
★4孤独な場所で(1950/米)照明で目に焦点を当てる手法は色の黒みと陰の暗さが映えるモノクロームの世界でこそ活きる。それがボガードグレアムの心象を暗黙に対照的にあぶり出すが、とくにグレアムのそれは、慕情(信)と猜疑(不信)の狭間に宙吊りにされる曖昧さを湛えて、ふと『裁かるるジャンヌ』のファルコネッティの肖像をさえ想い起こさせる。映画の映像は実在と仮象の狭間で痙攣的に蠢動する瞬間に最も艶めく。3819695, ゑぎ[投票(2)]
★4赤い砂漠(1964/仏=伊)目に映るもの全てがわたしを虫食み分裂させる。嗚呼、それにしたってモニカ・ビッティ。(ひたすら見よ。) [review]けにろん, ミキ, crossage, くたーほか5 名[投票(5)]
★3スター・ウォーズ 最後のジェダイ(2017/米)何より女性、黒人、アジア系、そして孤児達。周縁的な出自の人物群像による代替わり劇。総花的にあれもこれもの感は募れど、素朴なヒロイズムへの距離感を担保しつつ、それでも「物語」への率直な希求をも一貫せんとする。必要なのは(英雄でなく)伝説(=物語)。〔3.5〕けにろん, DSCH[投票(2)]
★3冒険者たち(1967/仏)「青春」レクイエム。 [review]けにろん, ダリア[投票(2)]
★3新感染 ファイナル・エクスプレス(2016/韓国)「走る(人海ならぬ)人塊」と、その最突端としての「走る密室」のモチーフが、追走と脱落の一貫したアクション構造を支えきる。数ある難関を越えゆくに活劇的アイデアは不足なれど、さすがは韓国とも思わされる豪腕・駿足の体力勝負で意気さかんに中央突破に懸けゆく作劇はいっそ潔い。ためにラストに至る束の間のロングショットも不意にエモーショナルたる。勝ち。3819695, ぽんしゅう[投票(2)]
★3お父さんと伊藤さん(2016/日)疑似家族(夫婦)の疑似家族(夫婦)足る所以は言葉の通り「寝食」を共にすること。上野の、リリーの、の、役者としての素の質がそのまま物語を説得的にするのは、人が役になるのではなく役が人になるところの映画の詐術。敢えて″描かない″描きようは物足りぬが、映画と物語の距離としては快適でもあり。何気ない夜の辻角、灰色な曇天、突然の雨粒。けにろん[投票(1)]
★3禅と骨(2016/日)モザイク模様で確固な実像の判然としない、それでも歴然たる一個の人生を辿るに、パッチワークな継ぎ接ぎ構成は相応の上策かに一見思えるが、そこには画面そのものを介して見るものが被写体に直裁に向き合う契機は失われる。その中でふと不可解として印象に残像するのは、母コウの肖像の断片につけられた疵。何気ない、しかし、実在した人生の裏面の痕跡。ぽんしゅう[投票(1)]
★3アウトレイジ 最終章(2017/日)自殺ならぬ自決。自分のための他人、他人のための自分。生還以後の北野武のモラルはつまるところはやはり贖罪としての「献身」。「若い衆やっちゃった…」。自作自演のスター監督兼俳優にだけ許される『許されざる者』の末路。演者達の活力の欠乏がむしろ作劇の負の活源として画面を跳梁する。笑って泣く道化の映画。〔3.5〕ぽんしゅう, DSCH[投票(2)]
★3名探偵ホームズ劇場版 ミセス・ハドソン人質事件/ドーバー海峡の大空中戦!(1986/日=伊)これもやっぱりサイレントスラップスティックコメディに連なる作品と見てよいと思われる(とくに「ドーバー海峡の大空中戦」は)。アクションのつるべ打ち。DSCH[投票(1)]
★4ラストエンペラー(1987/英=中国=伊)モブに次ぐモブの映画。歴史ではなく物語。自己完結と予定調和とセンチメンタルなノスタルジア。恐らくはファッショを産んだ国の「作家」故の世界観。欠落ばかりのファミリーロマンス。 週一本, けにろん[投票(2)]
★4ブレードランナー(1982/米)夜の映画ならぬ闇の中の光の映画。光は飽くまで間接に人物の肖像を照明し、街の片隅、裏側に息衝く実存の輪郭をこそ映し出す。巻頭唐突にインサートされるイメージショットが全編を貫く「瞳」のモチーフを予告する。「瞳」は「見ること」の象徴となりレプリが垣間見た世界の無償の美しさへの憧憬を掻き立てる。「闇の中の光」を「見ること」、即ち映画であり、この世界そのものの実存であり。週一本, けにろん, ロープブレーク, DSCH[投票(4)]
★3ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ)ハリソンさんのあたふた、ドタバタ、ケーハクなニヤケ、それこそが街の片隅、裏側を駆けずり回り、這いずり回る人間デッカードの実存そのものだった。世界の命運や探求の問答とは無縁に刹那の生を走り抜けることの自由こそが肯定されたオリジナルの作劇が、スピルバーグA.I.』的に肥大化されることでむしろ矮小化。Kの造形は徹頭徹尾そのままであらざるを得ない悲哀へも愛嬌へも突きぬけず。けにろん[投票(1)]
★4パターソン(2016/米)バスの車窓。敢えてゲームに譬えれば、世界(観)の広さ深さを覚えさせる細部と日常的活動の反復と蓄積により成立するオープンワールドRPG。切り裂かれた詩集。つながれた犬。詩作(思索)の人はその世界の破綻の予感に心密かに戦慄しながらまた同時にそれに期待するかの如く、「魚」が「豚」に堕し兼ねない際と淵をへ巡り歩く。詩人による詩人の映画。セント, けにろん, 水那岐[投票(3)]
★3シン・ゴジラ(2016/日)ゴジラ映画としては☆5つ、映画としては☆3つ。アニメキャラの如く、画面の中に実存することのない空疎な人物達は、見る者の思い入れ次第で軽重を変じる。ゴジラそのものはと言えば、オリジナルを発展させたCGトレースが正統の系譜を継承し得た(ように思える)。何も思い入れのない(筈の)子どもらがどう見たのかは、知りたい気がする。はしぼそがらす, YO--CHAN, Sigenoriyuki, けにろん[投票(4)]
★4ぼくの伯父さん(1958/仏=伊)車達が整序並列して道路を進む。ユロ氏がアパートを、路地を、新宅を、工場をその覚束ない前傾姿勢で歩き回る。犬コロ達も子供達も一見自由だがしかし野放図ならず。それら企図された秩序とその振幅の中に生まれる動線のユーモア。尤もらしいだけの現実的SEを極力排することでSEはむしろ自律的な符牒と化し、その逆説でアクションはサイレント映画の体を為す。自己抹消とその「寅さん」的ダンディズム。3819695, 寒山, けにろん[投票(3)]
★3関ヶ原(2017/日)ビジネスマンや経営者の群像劇に見えてしまうのは、やはり「間」や「タメ」を敢えて排したのだろう演出による。その為に失われたように見えるのは人物同士の内実あるドラマ。象徴的なのは主役たる家康と三成の間にさえまともな視線の切り返しがないこと。それも“敢えて”だろうが、結局決定的場面ナシの印象に至る。DSCH, けにろん[投票(2)]