[コメント] ペイ・フォワード 可能の王国(2000/米)
ひとつの筋は感動的なのに、逆方向の筋がダメ。マスコミに支配されていないか?心の中まで。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ペイフォワードというものの本質は人間ひとりひとりの心の中にあり、それが成就されるのは個人的な事のはずで、それこそがこの映画「ペイフォワード」の素晴らしさなのではないでしょうか。
大筋の子供と母親、教師の心の機微を描いた部分は素晴らしいが、もう一方の筋、ペイフォワードの検証役の記者が政治力を使って仮釈放を行うなど全く本質的に逆な行為を見せてしまうのが残念。しかも、結果的に、この記者による全米への報道によってペイフォワードが成就されたように見せるあたりが、どうにも納得できませんでした。この記者のペイフォワードは一体どこにいったんだ?
しかもラストは、メディアによって広まった大きな追悼なんてシーンで締めくくるなんざ、どんな意味があるのでしょうか?そんな事であの母親の心が癒されるとでも?
まるで、「メディアに認められないもの」=「価値がない」ともとれる内容。現代人がいかにメディアに犯されているか、良く分かります。
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