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[コメント] パッション(2004/米)

サド映画。それ以上に何があるというのか。

愚かな民衆によってもたらされた悲劇は、もはや悲劇ではなく喜劇である。オイディプスの物語は愚かな人間によって進行していたか?誰もが正しい行為をしながらも悲惨な結末へと至ることこそが悲劇であり、愚かな行為によってもたらされるものは真の悲劇たり得ない。

キリストさえも、この映画では現代の新興宗教の教祖と変わらないようにしか見えない。唯一まともなのが総督(&その妻)だけなら、こんな結末になるわ。

ニーチェを愛読し、キリスト教における弱者のルサンチマンを思い知らされていなかったとしても、「神よ、なぜ我を見捨てたもうたか!」って、神に与えられた試練であって、見捨てられたわけじゃないでしょ?って思ってしまうほど、彼の言動が正常だとは思えない。

そもそも、「神よ、彼らを赦したまえ、彼らは自分が何をやっているかわかってないのです」って、すごい上からものを言ってる。自分はわかっているけど、相手はわかっていない(すなわちバカ)って考えは、相手を赦すことではなく、自分の価値基準を他者に無理矢理押しつけることによって、自分に対して脅威となる存在を貶め、自分を相対的に優位にするような幻想を生み出すための戦略でしかない(そして価値基準はこのために作られ、正当化される。本人の中だけで)。こういった考えが帝国主義を生み出すのだし、未だにイラクで体現されていることの根源。野蛮人どもを啓蒙してやろう的な。

現に、キリストの教えを間近で聞いていた弟子ですら、その教えを実行できなかったわけだし。そして、その後に権力を手にしたキリスト教会は、この映画に出てくる司祭どものように、さんざん異教徒を迫害し続けてきたし、今もしている。にもかかわらず、彼らはキリストの教えを後ろ盾に威張ってる。それ自体がキリストに対する冒涜であると気づかずに。。。反吐が出る。

以上のような理由から、物語的には全く受け付けられるものではない。

さらに、映画というメディウムの特性を生かしているわけでもない。映像が美しいと言っても、まあ、宗教画の構図を参照しつつ、ハリウッド的なお綺麗な映像でまとめただけでしかないし。それは所詮、写真の延長、動く写真に過ぎず、映画的とはいえない。

結局、痛い映像によって観客にショックを与えただけで、それを除くと何も残らん。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Orpheus けにろん[*]

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