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[コメント] マルメロの陽光(1992/スペイン)

期待しすぎるのは良くないことだなと…。

やっと見る機会を得ることが出来ました。この作品に掛ける私の期待は完全に振り切れてました。理想に合致する作品なんて存在しないということを忘れるほどに。

前置き終了。

この作品が美しいことは言うまでもないので割愛。

芸術作品は、作家にとってと、鑑賞者にとってでは全く違う。簡単に言うと、鑑賞者にとって作品はすでに完成されたものであり、それを創造的に見る(鑑賞する、体験する、受容する、解釈する)対象である。一方、芸術家にとっては、作品は、完成してしまえばもうどうでもよい(フェティシズムは除く)。作家にとって重要なのは、作品を創造する過程であり、そこに作家にとっての美的快楽が存在する。

創造の悦びは、芸術作品を芸術と規定するための主要な要素である(それゆえアート系の作品をさしてオナニーと批判する者に擬似的な論拠を与えている。もちろん、そんな批判は本質を逸しているが)。しかし、その要素は、芸術作品の成立にとって重要ではあるが、鑑賞者が鑑賞する際には、その要素が考慮されることはない(する人もいるが)。

で、この映画は、製作過程を記録しているだけではなく、その製作過程そのものに関する作家の悦びを記録し、普段は鑑賞者である我々にそれを認識させてくれる。

絵を描いている間、マルメロの木の周りには家族や友人などが訪れ、彼ら(とマルメロの木)と共に時間を過ごしながら、作品を創造していく時間も過ぎていく。

中国人女性との会話で、「写真は使わないの?」「ここで描いてる時間が大事なんだ」みたいなことを言っているが、それがこのことを端的に表していると思う。

作家にとっての、制作における時間的持続の大切さ。それが陽光の変化をもたらしたり、枝を垂れさせたり、実を落としたり、しいては作家の死をもたらしたりするというふうに制作の障害になろうとも、製作過程における作家の快楽は芸術制作にとって不可欠なのである。

ということ?

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上記はLDで鑑賞。

で、以下スクリーンで(フィルムで)鑑賞の感想を追記。

マルメロと陽光はフィルムでしか映し出し得ない「緑の光線」。その色彩の美しさには驚嘆。ブラウン管で見たアレは何だったのかと思うほど。

頑なに「映画なんてビデオで見ても一緒じゃん」と言い続けていた私をフィルム主義者に変え、この作品のあるべき姿を見せてくれたラピュタ阿佐ヶ谷に感謝。

(評価:★4)

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