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[コメント] ソラリス(2002/米)

〈ソラリスの海〉が生み出した新たな〈擬態〉、『ソラリス』。

ソラリスの陽のもとに』、『惑星ソラリス』、そして『ソラリス』。これらはどれかがどれかのリメイク/映像化であるというものではなく、いずれも〈ソラリスの海〉というイマージュから派生した作品である。

そして、レム版のSF的エクリチュール。タルコフスキー版の詩的映像。それらとは違った仕方でこの『ソラリス』は描かれている。

ソダーバーグ版は、確かに全体を通して軽い仕上がりになっている。それは、ハリウッド的というより、かつてのポスト・ハリウッド的ソダーバーグの様式である(良かれ悪かれ)。全編を通して彼のマニエリスムが浸透しているが、真に彼の才が発揮されるのはラスト15分ぐらいから。演出上のトリックだけではなく、むしろ〈ソラリスの海〉の新たな解釈の可能性を示すロマンティックな(かつ哲学的)結末。そして、すべての過程はその結末のために準備されているのである。

キャメロンが撮っていたならば、〈ソラリスの海〉という主題を中心に据えた壮大な(あるいは大仰な)SF大作になっていただろう。しかし、それこそレム版の「映像化」(それも王道のハリウッド主義的な)にすぎない。一方、ソダーバーグの場合、「愛」というテーマが中心に据えられることによって、〈ソラリスの海〉は後景に引くことになったが、それでもなお、物語を本質的に「背景」として支えている。そのようにして描かれたソダーバーグの作品は、依然として〈ソラリスの海〉と関わりを持ち、それゆえにこの作品は、本質的にソラリスの物語であり、〈ソラリスの海〉の別の姿なのである。

いずれにせよ、ソラリスの名を冠するこれらの作品が〈ソラリスの海〉から現れた〈擬態〉であるがゆえに、それらは根源である(ソラリスの海)そのものを直接描くことはない。そしてそもそも、〈ソラリスの海〉が無限に擬態を生み出す多様性である以上、それ自体を描くことは不可能なのであり、この不可能性/多様性が〈ソラリスの海〉の本質なのだろう。

そのような(ソラリスの海)を描く上では、その無限の多様性を制御するためにひとつの視点を固定することが要求される。レムは科学、タルコフスキーは詩的映像、ソダーバーグは愛。前両者と違う視点を設定し、(ソラリスの海)の新しい姿を生み出したソダーバーグは正しい。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)鵜 白 舞 ペペロンチーノ[*] ハム[*] 死ぬまでシネマ[*] グラント・リー・バッファロー[*]

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