[コメント] ぐるりのこと。(2008/日)
ぐるりのこと。を観た。
この6年の間に橋口亮輔監督は成長を遂げ、日本映画の監督の一人として、 今後も大衆を魅了する「映画」を撮り続けるんだろうな、と思った。目上の方に、 生意気なことを書かせてもらえば、「ぐるりのこと。」は、 橋口亮輔監督がさなぎから蝶に生まれ変わった瞬間に、 立ち会ったような感覚を覚えた。
ずっと、内省的な映画を撮ってきた監督である。文学でいえば、芥川賞作家の ような感じ。しかし、今回は社会という、自分たちが内省的にならざるを得ない、 周りのことに視線を向け、物語を構築していった。そして、受け手を楽しませる ことを忘れていない。直木賞作家が書く文学(物語)のような 作りになったのではないだろうか? それ故、観ている層は、前回の『ハッシュ!』 より、格段に広がっているように思う。土曜日の初回に足を運んだのだが、 年輩の方も多く、シニア層の女性が「面白かったねぇ」と、帰り際に感想を漏らして いたことは、橋口亮輔の映画監督としての成長を如実に語るものだろう。
橋口監督にとって、核となるモノはなんだろう? たぶん、良い家庭環境には 生まれていないよね、というものである。私が橋口作品を見続ける理由も、 そこにあるのかもしれない。今でこそ、破綻している家庭の方が 多い気がするが、バブル崩壊前は、まだキチンとしたお家が多かったし、 ホームドラマのような「平凡だけど幸せ」みたいなのが、家族のあり方だったように 思う。そういう時、異端だった子たちはどうだったか? 「羨ましい」である。
私自身も子供の時から、なんか家ってオカシクね? ドラマとはズレてる。 周りの友達の家とも違う感じ。両親、ケンカばっか。離婚するって言うくせに、 私と妹がカワイソウとか言って離婚しない。父が夕食を食べてる姿見たことない。 父親って、夜に白米食べるモンなんだ。スナックに行くと言っては帰って来ない。 スナックって寝泊まりできるとこあるのかな?(←幼稚園の時、雑魚寝できる 部屋があると本気で思ってた・苦笑)
で、こんな家庭環境に育った私はどうしたか? めっちゃイイ子になったのである。 これ以上、お母さんを悲しませたらカワイソウと思い、小学校の時の成績は、 クラスの女子で一番だったし、中学の時はヤンキーなんかバカにしてたし、 はっきり言って、こんなに素直な良い子がいて羨ましいですわ、って誉められるのが、 当たり前くらいの人になった。ただ誰のためにこんなイイ子でいるんだろう? 演技しているのかな? と、ハタと気づいたのも事実だ。
そんな頃だろうか? 私の周りの二人が精神を病んだ。 弱っている人というのは、強い人に頼るものだ。私は、同じ時期に二人を抱える ハメになった。あまりに精神的負担が増すのが目に見える状態だったので、 高校の同級生だったTちゃんを仲の良かった女の子グループで分担して、 相談にのってあげようと提案した。ちなみに、Tちゃんは強迫神経症になって、 お父さんが末期ガンになって、旦那さんからは子供がいるのに、 離婚しようと言われていた時期である。
まず高校の同級生Kちゃんに提案し「Tと関わらない方がいいんじゃない? 切れば?」 と言われた。Yちゃんに相談した。「私、Tちゃんとはそんなに仲が良くないし」と 返された。
Tちゃんと電話で何時間も話す。後ろで、Tちゃんの子供がお母さんが泣いているのが わからなくて、元気づけようと何かを歌っている。Tちゃんの泣き声と、子供の歌声が 受話器から二重になって聞こえる。今、私が切ったら、彼女は頼れる人が誰一人 としていなくなるよ。こんな状況で切れるわけないじゃん。私たちの楽しかった 高校時代って、何だったの? ただのお友達ごっこ? …と、思っていたら、数週間後Tちゃんが自殺未遂した。
そうしたら、私まで変調を来したのである。突然、過呼吸になって息が吸えない。 気が狂うんじゃないか? と恐怖心に襲われ、体がブルブル震えてとまらない。 何もかもから逃げ出したくて、優しくしてもらいたい一心で、 ある男性に行ったら「遊びだ。ムカムカする」など、耐えられないほどの屈辱の 言葉を浴びせられた。
その時、自分の心が壊れていることを自覚した。遡って、2年間、 毎日涙がとまらない状況になっていたからだ。私が泣いていたことは誰も知らない。 トイレの中やお風呂の中や車の中や、翔子のように他人の目に触れないよう気をつけ、 本で隠すように、一人になると涙が溢れていた。 先に頼られたり、周りにしっかりしていると言われ続けてきたこともあって、 そこでも演技を続けてしまったのかもしれない。 だから彼女の気持ちは痛いほどわかる。もうちょっとガマンできる。もうちょっと、 頑張らないと、と思っているうちに、とっくに限界を越えていたのだ。 壊れたと自覚した後は、「私は何も悪いことをしてない!」という気持ちだけだった。 翔子の壊れたきっかけもそうだが、自分のせいじゃないのだ。 全部、周りの人が災難を持って来るような意識になって、自分の根本的な原因である 両親の問題に発展し、生まれた時からのことを考えていくと、 自分ではマジメに生きようとしているだけなのに、周りの環境が自分を不幸に していくという被害者意識の強い悪循環(スパイラル)にハマってしまう。
パンフレットを読むと、橋口亮輔監督は壊れていく翔子に自身を投影している ようである。そしてカナオを法廷画家にすることによって、10年に及ぶ犯罪史に 残る犯罪者の法廷シーンを挿入することで、印象的な作りにしている。 カナオも翔子も、あっちに行く可能性のある環境に育った。でも、 だからって誰もがいかないよ、という橋口亮輔監督なりの表現のように 思えて仕方がない。 カナオは、父親が自殺している。翔子の父親は女と逃げた。 どちらも幸せとは言いがたい。でも、幸せな家庭を築くことは可能なのだ。
一方、犯罪者は全てを環境のせいにする。幸せそうに見える人に、 嫉妬や悪意を向けて、あたかも自分以外の他者は与えられて、 自分は奪われてきた人間かのような被害者意識の強い悪循環(スパイラル)。 だから犯罪者の人たちが、翔子のように「もうどうしたら良いかわからない」と 泣きじゃくったことだって、あるかもしれない、という想像だってつく。 そして、そういった時に背中をさすってくれたカナオがいなかったことも。 生まれた時から与えられる人(教育・美・お金など)は世の中にいる。 チャンスを掴み幸せになれた人は無自覚で、時に鈍感であることも 確かだ。けど幸せは自分がそうありたいと願っても、人から奪ってはいけないのだと 思う。だからこそカナオのように、共感するのでもなく断罪するでもない、 視線を送るしかないのかもしれないが…。
法廷シーンでは、音羽幼女殺害事件をモデルにした箇所は興味深かった。 金持ちと貧乏の間に生まれる悪意と嫉妬。先の自殺未遂した友人のTちゃんは、 有名大学を卒業していて、顔は美人で、実家がマンションを持っていて、 旦那さんの所得は1500万クラス。そして所有している車は外車。 性格は素の時は、一流志向の強い人である。 自殺未遂してから数年がたち、今では平穏な生活を送っている。 その彼女たち夫婦が、最近、都内にン千万円の一戸建てを買った。 同級生Kちゃんは「Tの家スゴイんだって、みんなを誘って見に行こうよ!」と、 はりきっている。私は、内心「切れば? って言ったくせに」と思うが、 口には出さない。Tちゃんも、あの時のことを蒸し返されるのがイヤなのだろう。 今ではその時のことを話すことすらない。友情物語は継続中である。
人は美しいもの(恋愛、友情、家族愛)や、醜いもの(ズルさ、偽善、悪意)を 抱えて生きて行くしかないのだろう。背負わされた問題は、誰にだってあるはずだ。 と俯瞰した時に、橋口亮輔監督は、作家として成長を遂げた。 それは私たち自身にも言えることで、「ぐるり」と一周することでしか、 精神的に大人になりえないのかもしれない。
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