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[コメント] REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に(1997/日)

争いの無い絶対平和の新世紀を真剣に目指すと…こうなります。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







争いの元凶である我が侭で自分勝手な男を全て淘汰することが可能であり、 仮に男が一人でも生き残るのだとすれば、あのように軟弱で内向的であり、 自ら何も決断のできない存在のみであろう。

そこで、その先に人類の未来を繋いでゆくか/終わらせてしまうか、 それを決断できるのは、女性の側のみであり、女性が受け入れる 意思表示をするかしないか、それをできるかできないか、…それを それこそを、最後の審判と帰結している。

もしくは、再び男の残虐性を肯定するか。「イヤヨ イヤヨモ スキノウチ」

確かに、遡れば人類は哺乳類以前にまで遡っても、我々はすべて、 レイプされた母の子供達である。 レイプをする父の子孫なのである。 そのような性のシステムが、遺伝子レベルで組み込まれている。

それを否定することは、種としての絶滅を覚悟するか、 奇跡的な突然変異に期待するかしかない。

あの映画のラストは、 全ての他人の視線が消え、誰にも何も言われ得ない状況になってさえも、身動き一つ出来ず、絶対に拒絶し得ない相手(アスカ)に対してさえ、それでも自らは女を犯せない男が描かれてる。未経験だから判らないわけでないことを、レイとの関係で示している。 この映画が問うているのは、つまり、そういうことだろう。

そのように考え、感じた当時、女性の権利を声高に叫んだ女性の側は、責任を負うことから逃げ、負け犬になった。主夫を持つ者は鬼嫁とされた。それらを見た若い女性は、男に媚びる生き方をこそ求めた。…ように見えた。「オラオラ」が求められた。そして、生活苦にあるシングルマザーや、DV被害は増えたとか。

これが、女性の権利を叫び男性と対等な地位を望んだ活動によって招き寄せられたのだとすれば、なんとも滑稽ね。

この映画を支持するような男性は、この点において、その態度はどうなのだろう。 この意味であのラストを支持しているのだろうか?

でも、しかしながら、これこそが日本らしい日本の精神の基盤でもあると言えなくもない。

日本神話のアダムとイブたるイザナギとイザナミだって、ハナから女に主導権を取られる。男が先であるべきと説く理由だって産み損ないが理由であって、イザナギが殊更主導権を行使したわけでもない。スサノヲは国を逐われ、泣いて母の元に逃げ帰るし、オオナムヂは八十神の中でも最弱であるが故に女に見初められ、女の助け無しには治世もできない存在である。

干支一回り後にして記す。

(評価:★2)

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