[コメント] 生きものの記録(1955/日)
怪獣が出てこない怪獣映画
「水爆」という名の見えない怪獣の影に怯え、家まで破壊される(現実には自分の手で破壊するのだが)男の恐怖劇。
或いは海を渡らない『マタンゴ』
子供の名前にまず爆笑。一郎次郎三郎。末っ子の娘は「すえ」 「日本昔話みたいなセンスだなあ」と思って観ていたが、ウム、確かにコレは「現代のメルヘン」である。
シリアスな社会問題告発映画(?)として観ると、「このくそ真面目な自分の心が一番キレイ。自分が一番敏感なカナリアで、誰も気がつかないことに気がついてて可哀想。私は人類の贖罪を背負ったキリストである!!」という主人公の行動が、かなりウザイが。
しかし、演出の手法は、例の「ひょろろぴろぽ〜〜、へろひょろり〜〜」というチョットアレなミュージックソー(ノコギリ)の宇宙音(宇宙に音なんかあるかい!?というツッコミはナシでお願い。特撮系映画に多用された電子音に似た音を「宇宙音」とココでは表示する)も相まって、『ゴジラ』かしら?という気分になる。
どっちかってえと、「俺は怪獣なんか出さなくても怪獣映画が撮れるんだぜ」という監督自身の「心意気」みたいなものが伺える。
・・・・そんなモノを勝手に感じているのはワシだけのようだが・・・
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