[コメント] ピースメーカー(1997/米)
もう、みんなみんな可哀相。 いきなりのファーストシーンから、ボーダの涙。
いかん、中年になると涙腺がゆるくって・・・
誰も悪くはナイ。 ただ、この今という時代に生きているだけで 背負ってしまった「業」というモノがあるのだ。
それに気が付くデリカシーがあるやなしやで評価は 別れる。たぶん、きっと。
《追記》2001年9月13日
アメリカ同時多発テロ事件の一報を聞いて、真っ先にこの映画を思い出した。再見したくなり、レンタルする。
初見時は妊娠末期(臨月)だったこともあり、ヒトが死んだりするのが感覚的に「耐え難いモノ」になっていたので、いささか過敏に反応し過ぎてしまった記憶があるので(実は劇場で泣きすぎて、席が立てなくなってしまった。この一件以来、「劇場で腰を抜かすまで泣くまい」と決めた)改めて観た次第。
再見後の感想は、「良くできたアクション映画」であった。
しかし、この「テロリストはモンスターではない。血が通った人間である」という全編を貫くコンセプトは、多分、今現在のアメリカ人には受け入れがたい部分であろう。
「敵」はつねに得体が知れぬ、狂信的なモンスターであって欲しいものなのだから(その方が自分自身が傷つかないで済むモノだから) しかし、この、テロリストにも心を寄せるようなミミ・レダー監督の視線は、本当はあえて「今」という時だからこそ必要なのではないのか?
報復を声高に叫ぶ姿には大きな悲しみの予兆しか感じ取れない。
この現代に生きて、先進国で暮らし、消費生活を享受するワシたちには、自分では気が付かないウチに「加害者になっている」という側面もあるハズなのだ。
美味しいモノを食べ、贅沢な服を着て、平和に暮らすワシの生活というものが、実のところ、第三国の誰かの犠牲の上に成り立っているモノなのかもしれないと感じるのは、ナイーブ過ぎるか?
どっかよその国の民族紛争や内戦が、「自分には全く責任がない」「よその国の出来事」「勝手にすればいい」って、本当に言い切れる? 全く関係がない、よその国の事件だと思うのは、「違う」と思う。
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