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[コメント] 用心棒(1961/日)

互いが争うような火種を作り、共倒れするまで事態を見守ろうと考えた三十郎だが、最終的に決着を付けたのは彼自身の怒りである。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この後に観た『荒野の用心棒』が、設定どころかストーリーの細部までまるきり同じだったのには驚いたが、腹も立てずに安心して観られたのはむしろ変な解釈をすることなく、元の話に忠実だったからかもしれない。

 それでもやはり本家は本家、クロサワしか出来ない(というか、やらない)要素がたっぷり詰まっている。宿場の全景をワイドスクリーンいっぱいに捕らえたアングルを多用しているが、登場人物の据え方が普通ではない。「手前と奥」「右と左」そして「手前から奥に」という移動もある。横ではなく縦でも見せるあたりの画面構成は、完璧。佐藤勝の劇中音楽も、画面や演技とシンクロしていつしか頭から離れなくなっている。第一、時代劇の音楽編成にチェンバロを使うなど掟破りもいいところだが、なぜかハマってしまうのは映画全体の雰囲気のせいである。おかげで我々は、争う両者を手玉にとって、どちらに入るわけでもなく筋書きを進めていく三十郎の姿に、そして彼の一挙一動にみんな惚れ惚れしてしまうのだ。

 さてその三十郎だが、丑寅一家にボコボコにされながらも脱出した彼が、権爺の助けでどうにか傷を癒やすことが出来た。そこへこっそり駆けつけた棺桶屋から、権爺が捕まった、と知らされる。「権爺がどうした!」

 ……この時の今までにない慌てようは、どうだ。彼自身が事態をあくまでも冷静に(冷ややかというか、徹底的に突き放していたのかもしれないが)見続けてきたが、ここへ来てどんな時でも出さなかった焦りと彼の怒りが爆発したかのようなものを感じずにはいられない。権爺からもらった包丁一本で立ち向かおうとするのを桶屋に「そんなんでやる気か?」と言われて答えた「刺身にしてやる!」も、彼自身の怒りが言わせているとしか思えない。

 最後の対決シーンでのみ「人を斬る時の効果音」が入っているのは、そのせいではないだろうか。今までどの太刀回りのシーンでも使われなかったのだから。

(評価:★5)

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