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[コメント] GODZILLA ゴジラ(2014/米)

「ゴジラは本来こういうものだ」という「そもそも論」が、ゴジラどころか怪獣映画をダメにした。そんなのは10年前にもう結論が出ているにもかかわらず、今だそれを続けてる人間がなぜこんなに多いのか!
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ……シネスケ内に「ゴジラ原理主義者」が余りにも多い現状を憂いている。ちなみに、自分はゴジラ信者であることを止めました。爺さんになっても永遠の怪獣好きでいるために必要な、悟りを得るための修行をしてます。それを踏まえてお読み下さい。

 今回のレジェゴジ公開前は、『ゴジラ』第1作目へのリスペクトが強調されていた。1作目と聴いてまず浮かぶのは「原水爆への恐怖」や「過去の戦争の影」だが、これらは全て60年前の世相である。作品内ではそれらを交えつつ、ゴジラ出現によって引き起こされる出来事を徹底的に悲劇として描いた。そしてゴジラそのものも悲劇に巻き込まれて死ぬ。60年前の公開当時、東宝に届けられた感想の手紙の中には「あれではゴジラが可哀想」「殺すことはなかった」という意見も結構あったという。

 その一方で、怪獣出現によるスペクタクルも余すところなく描いた。都市破壊はもちろん、逃げる群衆や出動する軍隊、ゴジラを見てパニックに陥る人々等もその部類に入る。

 では今回のレジェゴジはどうなのだろう? 予告映像で原発事故や津波のシーンが出てきたところからして、かつ別の怪獣も登場するという話もあったので、あの衝撃的な出来事と、ゴジラと新怪獣(以下、ムートー)をどう絡ませるのかと思っていたのだが……

 結論からいうと、ちゃんとした怪獣映画だった。しかも1作目どころか、今までに作られたゴジラ映画への敬意も払っていた!

 前半。先にも触れた通り、原発事故や津波を描いてあったが、そこに至るまでの恐怖感と、実は放射能汚染など既に過去のものだったという陰謀論まで出てくるあたりは正直やられた。ゴジラと核実験に関しても、核実験でゴジラが産まれたのではなく、元から存在していたゴジラを倒すために「実験」と称して核兵器を使用したという設定もどこか憎めない。無論「これがアメリカの限界」という声もあるし、同じ設定に出来なかったのを残念がるのも分かるが、むしろ核兵器に対するアメリカの考え方が見えてくる感じだ。

 アメリカは第二次大戦や冷戦時代を経験した過去からしても、日本と違って核兵器を「絶対悪」には出来ない。しかし世界全体をメチャクチャに出来る兵器を所有している割には、一般市民に行ってきた核兵器への対処法は実に適当だった。『アトミック・カフェ』を観た際、子供達に対して「♪さっと隠れて頭を覆え」と楽しそうに説く映像が出てきて驚いた。何だそりゃ、と思えるが実際にそんな広報が流されていたのだから恐ろしい。この「本当のことを隠している」「権力によって事実が曲げられる」という部分が本作でも描かれていて、むしろアメリカらしいといえばアメリカらしい、ハリウッドならではの設定といえる。

 それに、いくら事実を隠蔽しようと結局ゴジラを倒せなかった(つまり核兵器で倒せると思っていた)のだから人間が愚かであることに変わりはないし、何よりエメリッヒ版よりずっとマトモに核兵器と向き合っている。エメリッヒ版はどうだ、確かにゴジラは核実験で誕生したが「フランスが実施した」と物凄く逃げており、自分達を原因にすらしていいない! しかもジラ(アイツをゴジラなどと俺は呼ばない!)の被害は全て自分達が受けたと言わんばかりだし、加えてフランス絡みの要素はジャン・レノ出して終わり! という実に脳天気な映画だ。だからこそ「アメリカの限界」と評されようが、本作レジェゴジの方が限界まで挑んでいる。異論も文句もあるだろうが、自分はその辺一切譲らないのでそのつもりで。

 人間側の知恵と技術の結集が、結果としてマイナスに働いた。その辺を怪獣映画に取り込んだから一作目は素晴らしいという論調があるが、本作は大胆な説を作りながらもオマージュとしてきちんとそれをやっている。で、ここまでがゴジラ一作目への敬意。

 そしてホノルル空港での戦いでついにゴジラが全貌を現わし、その後は完全に「人類vsムートーvsゴジラ」。この順番なの? と思うかもしれんが、登場頻度だと本当にこんな感じ。とはいえムートーの凶悪さは話が進むにつれてどんどん明らかになっていき、実はメスまでいて繁殖しようと企んでいた。厄介者であることが分かれば分かるほど、こいつをゴジラがどう片付けるかが気になるというもの。ゴジラの出番が少なくなるのは、ある意味必然なのである。

 というか今までの作品も全てそうだった。戦う相手が悪として魅力的であればあるほど、クライマックスのゴジラとの戦いは実に燃えるのだ。『ゴジラ対ヘドラ』『ゴジラ対メカゴジラ』あたりを観ると凄く分かりやすい。ゴジラに限定しないならガメラでもいい(『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン』『ガメラ2 レギオン襲来』あたりか)。いずれの作品も、ゴジラやガメラの出番はさほど多くないが話として十分成立しており、その一方で人間達も傍観者にはならず、怪獣を倒すためにあらゆる手を尽くしている。……今気付いたが、この「怪獣を倒す」ことも全て悲劇的にしたのが1作目だったのですな。

 つまり本作の後半は「vs怪獣モノ」の王道を行く展開だった。「今回のゴジラって、平成ガメラっぽくない?」という意見もあるが、とんでもない。怪獣バトル映画の王道ってのは、そういうものなのである。戦いは三つ巴になりかけたが、最終的には繁殖しようとするムートー、ムートーから核兵器を奪い返さんとする人類、そしてムートーを倒さんとするゴジラ、が存在することとなり、偶然にもゴジラと人類はムートーを倒すという部分が一致していた。ゴジラとムートーの戦いの際は、ムートーの卵を人類が爆破したことで劣勢だったゴジラが反撃を始め、卵を破壊され怒り狂うムートーが人類に迫るも、とどめを刺しに来たゴジラによってムートーは倒され、人類は何とか核兵器の奪還に成功する。三つ巴のままだったら、世界は確実に滅んでいたことだろう。

 結果として、人類は危機を乗り越えた。人間って凄い、かもしれないが驕ってはいけない。ゴジラと人類はお互いに貸しを作ったようなものだ、それを忘れてはならない……

 というわけで満足はしたが、それでも5点じゃないのは……どうせなら「貸しを作った」部分を分からせるためにも、人類に向かって一吠えしてから海に去って欲しかった。それを聴いた渡辺謙達科学者や軍人たちは一瞬慄くも、ゴジラこそが「神『God-Zilla』」であることを悟り、黙って見送っていく……となって欲しかったな、個人的には。その方が、渡辺謙の笑顔も分かるんだけどなぁ。ねえ坂野義光さん、貴方が監督した『ゴジラ対ヘドラ』のラストだってゴジラは人類にひと睨みさせてたでしょ、お願いしますよ、そこは。

 あと、核兵器のカウントダウンは止まって欲しかったな。主人公がああまで頑張ったんだからさ。

(評価:★4)

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