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[コメント] 宇宙からのメッセージ(1978/日)

この映画を「誰よりも愛す」と誓い、ファンサイトまで作った俺に怖いものなど無い。フォース? いらねぇよ、そんなもん! 俺が欲しいのはリアベの実だ!
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ……本作を語るには、『スター・ウォーズ』の、というよりは当時の“SFブーム”の凄さ抜きには語れない。1977〜79年というと、自分はこの時ちょうど産まれたので(もっとも、誰もそんな事実を信じてくれませんが)、当時日本国内で起きた大フィーバー振りは各種資料や当事者の方々の体験談に頼るしかないが……そういう自分の初鑑賞は小学校3、4年頃で、とにかく「圧倒された」ことははっきりと覚えている。その感動があるだけに「そりゃフィーバーも起きるよ、あんな映画なら」と、つくづく思うのだ。もちろん当時の日本も「ヤマト」や「999」で盛り上がっていた時期であり、加えて『未知との遭遇』と『SW』である。あれだけのものを観たならブームも起きて当然だ。そして、そのブームに乗らんとばかり、雨後のタケノコのごとく次々と宇宙映画が製作された。

 そのタケノコの中でも、一番アクが強いのでは無いかと思えるのが、本作である。

 確かに「雨後のタケノコ」ではあるが、普通のものとは随分違う。見た目は元気そうで、食べてみるとアクとクセが物凄く強いタケノコだ。美味いか不味いか考えられなくなる位の。美味しいタケノコを食べれば「以前美味いタケノコがあってね……」と後々話題にも出来るが、本作の場合はこうなる。

「そういやこの間、物凄いタケノコ食べたんだ。“美味かったか”って? 美味いというよりはね……いや不味くは無いんだ。かといって普通でも無いんだよ。凄くクセがあって……何じゃこりゃ、と思えるくらいのヤツなのよ」

 そして自分の場合は一言こう付け加える。「俺は気に入ったけどね」

 本作の存在を知ってから8年、ようやく鑑賞を願っただけあって、想いが非常に強いのは揺らぐことの無い事実なのだ。それだけに、こんな想いをし続けて、めでたく鑑賞出来てハイおしまい、という訳にはいかない、とフト考え、だったらこのまま突き詰めていけば良いではないかと決意したのだった。この映画に関してだけは、誠に勝手ながら偏愛することを許して頂きたい。これ以降は愛する気持ちをもってして延々と書くので覚悟するように(笑)。

 ……さて映画だが、本編をずっと観ていると「夢」や「希望」というものが実に強調されているが、ここまで希望溢れるエンディングを迎えた邦画特撮映画は、そうそう無いのではなかろうか。

「この人は、まさに戦後闇市の暗黒の中から情念を全身にべっとりまとわりつかせて這い上がってきた人であり、そういう情念を切り捨てたところで成り立っているSFという世界を描くと、とたんにどうしようもない駄作ばか りを連発している。」

 ……とは自分お気に入りの評論家の方が、監督死去の報を受けて書いたものから。なるほど確かに本作と『仁義なき戦い』はベクトルもポジションも全く逆だが、だからこそああいう結末にしたのだとも思える。本作に限って言えば、情念が無い世界だからこそあれほど臭い位に希望を満ち溢れさせることが出来たのだ。時代劇経験も無いまま撮った『柳生一族の陰謀』がヒットした直後、「今度はSFを撮れと言われて、もう、やるところまでやってやると思ったよ」と監督は語っている。ならば敵うものはない。深作監督はここぞとばかりに逆ベクトルのものを目指した。

 『仁義なき〜』も『柳生一族〜』も“集団抗争”という点では同じであるし、どちらも“権力”絡みである。そして主人公は、そんな権力と欲望を満たす為に、表面では穏便にしつつも裏で工作を働かすという様をさんざん観てきているうえに、その為に仲間を失うという経験を何度もしている。そしてラストで広能が葬式をぶち壊すのも、柳生十兵衛が家光の首を捕るのも、世の中がそんな“権力”を振りかざす人間達の上っ面でしか機能していないことに対する、最後の反発といえる。そんな連中の言動を散々見てきた男二人は、どこへいくというわけでもなく去っていくのだ。そんな世の中に失望し、全てをめちゃくちゃにした上で。そこに残るのはただの空虚。

 では本作は? ベクトルが逆なら、目指すものも逆。そこに空虚は無い。

 「我々は小さな存在だが、せめて夢だけは無限でありたい」……こう締めくくる大円団。本作もさりげなくだが「欲望」というものが描かれる。そしてリアベの勇士達もそれを身にしみて味わっている連中ばかりだ。権力争いばかりで夢を感じない軍隊に失望した酔いどれ将軍と従者ロボット、宇宙へ飛び出そうとはしゃぐ宇宙暴走族の若者達等いろいろいるが、極めつけは金欲しさにエメラリーダを売ってしまったチンピラ・ジャックだろう。はっきりいって勇士といっても実に弱い立場の人間だが、親分から預かった金でしか見得を張れず、「あなたはリアベの勇士なのです」と言われても「そんなこといわれましても」と実に素直。本当にこんな人間が勇士として選ばれていいのか、と思えるくらいだが、結局自分が意気地無しだから逃げようとしていることに気が付いて、そこに一旦捨てたはずのリアベの実が戻り、ようやく一旗上げる気になった。

 そう、人間一人一人なんて余りにも弱い存在でしかない。だからこそ権力というものに憧れ、それ故に争うのだ。時には利用する為にしがみつき、その懐の中で上手いこと生きようとする。そんな人間を見て失望することもある。だからこそ広能や十兵衛は、権力を求めることなく半ばストイックのように「己自身を」強くすることだけを目指した。権力無しで生きるにはそれしか術が無い。しかしそんなことが出来る人間など、この世にどれほどいるというのか? 権力を嫌いつつも自らに生き抜く力が無い状態、そこへやってくるのが「リアベの実」なのである。

 「リアベの実」を手に入れたことで一つの目的を得た人間達は、見事にそれを成し遂げる。そして彼等は地球へと帰らず、助けを求めに来た者達と共に大宇宙へ旅立つのだ。地球へ戻ってもいいじゃないか、とも思えるが、彼等の自身は地球の中で納まり切れるものではない。戻ったところで「ポリに追っかけられるだけ」つまりは「日常茶飯事に追い掛け回される」だけだ。そんなのではつまらない。だったらいっそのことつまらない地球なんか捨てて、宇宙へ飛び出してしまえ! という宇宙規模のアウトローともいえそうな深作節。本作こそ、戦後闇市上がりの監督だからこそ描けた「夢」そして「希望」なのである。それにしても先のお方、「駄作ばかりを連発……」ということは、タケノコの余りのクセの強さにお気に召さなかったのだろうか。

 そんな映画を全て丸め込むような美しい音楽。とりわけ本作の代表曲「リアベの勇士」など、原曲とされるショスタコーヴィチ交響曲第5番すら霞むほどの名曲である。劇中BGMはフルオーケストラという豪華さ(編成90人!)は、決して本家『スター・ウォーズ』のジョン・ウィリアムズにも負けてない。本作に関しては偏愛だが、音楽については純粋に好きである。

 そして特撮。製作に関し、特撮の矢島信男氏は深作監督とそんなに対話もしなかったそうだが、お互いやるべきところはきちんとやろうという暗黙の了解があったのだろう。深作監督のスピーディーなカメラワークに合わせるかのように、とにかくカメラが動く動く。当時世界に3台しか無かったシュノーケルカメラを勿体ぶることなくぶん回しているのだ。日本特撮といえば円谷→有川→中野と続く東宝特技スタッフが注目されがちだが、矢島は東映でそれを一人で支えてきた。東映特撮の威信を賭け、彼自身「アナログ特撮としては最頂点でしょう」と語るほどの映画だが、その言葉は断じて嘘でも奢りでも無いと信じている。本作が北米で大ヒットした際、こう評した人がいた。「特撮が素晴らしい。1年くらいかけて撮ったのだろうか」。実際は2ヶ月も無かったのだが。

 この意気込み、威信、勢いの良さ。何か好きである。理由ははっきりしないが惚れてしまう。そして想う。自分にとっての希望は「リアベの実」だ、と。凄くちっぽけだが、例えどんなに小さくても信じることが出来る気持ちを持ちたい、と。

 最後に一言。俺にはフォースなんかいらない! リアベの実が欲しいのよ、リアベの実が!!

(評価:★5)

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