「小津安二郎」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
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東京物語(1953/日) | どうしようもなく胸を引き裂かれる。小津における「物語」の最高到達点。 [review] | [投票(5)] | |
早春(1956/日) | 子供の不在。(『東京暮色』の結末部に関する言及が含まれています) [review] | [投票] | |
東京暮色(1957/日) | 小津のフィルモグラフィでは最も「愛すべき」という語による形容が相応しくない作品にも思えるが、「小津による真冬」が描かれているというだけで、しかし私はこの映画を愛さざるをえない。 [review] | [投票] | |
彼岸花(1958/日) | 山本富士子と浪花千栄子の文字通りの「トリックスター」ぶりが楽しい。 [review] | [投票(2)] | |
浮草物語(1934/日) | 暗闇の中、画面奥からぬっと迫ってくる列車。列車から降りて画面中央に固まる一座に降り注ぐ照明。冒頭のこの圧倒的な夜の情景に、はやくも傑作であることを確信できる。 [review] | [投票(1)] | |
浮草(1959/日) | 中村鴈治郎! [review] | [投票(8)] | |
お早よう(1959/日) | 全面的なオープンセットの使用によって、小津の幾何学的な空間構築はここで頂点を極める。 [review] | [投票(3)] | |
秋日和(1960/日) | 小津のカラー作品全てに云えることだが、この映画も批判するべき点が見つからない。恐るべき完成度だ。ほとんどSFの域に達したオフィス空間、目に鮮やかなハイキングシーンの緑。端正かつ異様な画面が続く中、岡田茉莉子の魅力が炸裂する。 [review] | [投票(2)] | |
突貫小僧(1929/日) | 斎藤達雄の顔芸に爆笑。それにしても突貫小僧はなぜ眼鏡をかけているのだろうか。腕白坊主に眼鏡という取り合わせを思いつくのは意外とむつかしいと思う。 | [投票(1)] | |
小早川家の秋(1961/日) | これも中村鴈治郎の映画だ。独壇場というほどではないにしても、中村がこの作品において果たしている役割は単なる主演というものを超えている。 [review] | [投票(4)] | |
大学は出たけれど(1929/日) | 小津で「雨」といえば『浮草』だが、ここでも高田稔が悲壮な覚悟をもって求職にゆくとき、なかなか堂々とした雨が降らされている。 [review] | [投票(1)] | |
東京の合唱(1931/日) | 喜劇作家小津の本領発揮。小津のサイレント作品ではいちばん好きかもしれない。 [review] | [投票(2)] | |
大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日) | 本人たちにとっては大問題でも客観的に見れば日常生活の些事に過ぎない事柄を描きながら、「人生の真理」とまで呼んでしまいたくなる何ものかを観客に感取させてしまう作劇術は、すでにここにおいて完成している。ああ、それにしても列車を登場させないと気が済まない小津! [review] | [投票(6)] | |
秋刀魚の味(1962/日) | 私たちは本当にこれを「映画」と呼ぶことができるのだろうか。小津の最前衛映画。映画的瞬間に埋め尽された映画が「映画」を超えてしまうという逆説。 [review] | [投票(3)] | |
戸田家の兄妹(1941/日) | 小津には珍しい一種の勧善懲悪劇だが、「父の死」や「都落ち」といったお馴染の主題も見られる。 [review] | [投票(2)] | |
父ありき(1942/日) | 川釣りにおける笠智衆と佐野周二のアクションの奇跡的な一致と反復。 [review] | [投票(1)] | |
長屋紳士録(1947/日) | 飯田蝶子が吉川満子に「あんたもう、とうに好きになっちゃってるのよ、あの子」と指摘され、青木放屁坊やに対する愛情を自覚する場面。 [review] | [投票(3)] | |
晩春(1949/日) | 原節子=紀子という突出したキャラクタの分裂性、あるいは怪物性。 [review] | [投票(10)] | |
麦秋(1951/日) | 感動的だ。何もかもがまったく感動的だ。この感動は「映画は映画である」という命題がこの上なく力強く肯定されたことへの感動でもある。 [review] | [投票(2)] | |
お茶漬の味(1952/日) | 元々が戦時下において構想された物語であったことに由来するいささかの無理があることは否めないが、じゅうぶんに面白く魅力的な作品だ。 [review] | [投票(3)] |