★5 | ルイ・マルは、こっち。作家の自意識でなく、見るものの自意識を開かされる。 (ALPACA) | [投票(2)] |
★5 | 「冷めた紅茶」を飲んだような余韻。 [review] (muffler&silencer[消音装置]) | [投票(11)] |
★5 | 20歳ごろ見たときは弱弱しい一人の孤独な男の数日のスケッチと思ったが、最近見てみると、自意識過剰な男の能動的な死に方に大分印象が違っている事に気付く。これは年齢のなせる業か、、、。 (セント) | [投票(2)] |
★4 | ルイ・マルにその気はあったか?いろいろ雑感→ [review] (ペペロンチーノ) | [投票(4)] |
★4 | 彼が新しく人に会うたび、彼とその人の距離が絶望的に遠いのがわかり、たまらなくなる。人生がどうのこうのという会話の全てがむなしくて、そんなことを言うよりも心をこめて彼を抱きしめてあげてよ、と思った。 [review] (なつめ) | [投票(8)] |
★4 | 危うさと頑なさにまみれたアラン(モーリス・ロネ)のパリの徘徊から、いつしか目が離せなくなる。そして、旧友たちとの間に一方的疎通しか許さぬ半透膜が、彼の身にまとわり付いているさまが見えるような気がしてくる。ルイ・マルの誠実な視線のたまものだろう。 (ぽんしゅう) | [投票(2)] |
★2 | 大人になり損ねた哀れな男と哲学者だらけのパリの街。インポテンツはかくも男を詩人にさせるのか? (sawa:38) | [投票(1)] |
★4 | 作家である男は、精神病院らしき所に入っている。女がいないと、淋しくて
生きていけないというヒモ野郎。男は、過去の女たちに会いに、パリに行く・・・。 [review] (Linus) | [投票(3)] |
★3 | 堂々とした映画だが衝動は感じられない。ジスラン・クロケ撮影の冷徹なこと! (赤い戦車) | [投票] |
★5 | 何年も前、映画らしい映画を初めて観た気がしたパーソナルな衝撃。 (reif) | [投票] |
★5 | 強固なまでに内省的で文学臭ふんぷんたる出来だが、惚れ惚れするくらいに堂に入ってる。トーマス・マン「魔の山」めいたサナトリウムの似非会話の空疎。クロケのモノクロームの艶とサティの前衛。幾多の最高品質が融合した正真正銘の傑作。 (けにろん) | [投票(1)] |
★4 | 冷たい海の底=死への意識過剰=希望がない=透徹な映像=深い人生への洞察。
あまり自分には縁のない世界ですが、時には哲学が必要な時もあります。 (トシ) | [投票(1)] |
★3 | 気まぐれに燃えたり、気まぐれに燃えなかったり‥‥‥「熱さ」という本質的な属性さえ放擲して、不精らしくちろちろと冷たい‥‥‥それでいて干渉されるのが大嫌いな気難しい生き物、それが鬼火。 (ジェリー) | [投票(1)] |
★2 | 一面的な人生観しか持てない主人公の、最後の放言で明らかになるナルチシズムが無惨。取り囲むスノッブ連のなかでも一番馬鹿なのは主治医で、依存症患者を病院から放り出す当時の医療レベルが嘆かわしい。 [review] (寒山拾得) | [投票] |
★3 | セリフの意味の大半が理解できず、このどんよりした空気(サティ、あんたも共犯者だ!)を早くなんとかしてくれよと叫びたくなった。こういうのを好んで見ていた団塊の世代はレベル高すぎ。背伸びしてたんだと信じたい。
(TOMIMORI) | [投票] |
★5 | エリック・サティの、沈黙よりも静謐な音の響き。この映画に於ける映像の連なりもまた、その種の静けさを湛えている。「愛撫とは、この上なくそこに在るものを、不在として求める焦燥である」(E.レヴィナス)。届かない愛撫としての彷徨。 [review] (煽尼采) | [投票(2)] |
★3 | 気が滅入ります [review] (ころ阿弥) | [投票(2)] |