★3 | 味園ユニバース(2015/日) | なんと言っても渋谷すばるの面構えがいい。漂わせる殺気は若手俳優では山田孝之と双璧。さらに、凶暴一歩手前で寸止めのパワフル歌唱が不穏さに輪をかける。そんな爆弾野郎をまえに二階堂ふみの「浪花の純情恋物語」は霞む。脚本が役者に負けてる。
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★3 | 月(2023/日) | 施設職員(二階堂ふみ)が洋子(宮沢りえ)に突き付けた、人はみんな目のまえの不快なものを見ないようにして生きているという指摘が、社会といった曖昧な集団ではなく「個々人」に向けて放たれたとき、私はその抜き身の“暴言”の正しさにぐうの音もでない。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 悪の教典(2012/日) | もっと軽快に!と劇中で自ら鼓舞しておきながら、「Mack The Knife」の力を借りても、いまひとつ殺戮に軽やかさが出ないのは、ハスミンの過去を語り過ぎたからだろう。エクスキューズは、安心を生むだけで「悪」の純度を薄めてしまう。得体の知れなさこそが魅力。 [review] | [投票(7)] |
★4 | 地獄でなぜ悪い(2013/日) | 文字通り血の雨を降らせ、血の海を出現させる友近の過剰さに感嘆し、「言葉」の具現化にかける園子温の執着と遊び心に喝采を贈る。圧倒的な過剰さで善も悪も蹴散らし秩序を無に帰す平田(長谷川博己)に、真性の紊乱者としての園の本性が覗く快作。 [review] | [投票(7)] |
★4 | この国の空(2015/日) | 男と子供が消え精気をなくした街に降りそそぐ爆弾は、とどめを刺すように残された女を焼き尽くす。二階堂ふみの抑揚のない女言葉の口跡が諦観の日常に艶めかしく響く。抑圧された生命の証であるエロスが、生き物が生き続ける欲望となって暴発するのは必然。 [review] | [投票(4)] |
★4 | ヒミズ(2011/日) | 「がんばる」とは、いったいどうゆうことなのだろう。昨春の大惨事以来、この言葉が繰り返されるたび、その意義が強調されればされるほど、言葉が意味する本質が見えなくなる。「がんばろう」に侵食される少年と少女。言葉にこだわる作家、園子温の真骨頂。 [review] | [投票(4)] |
★3 | SCOOP!(2016/日) | 核となるべき福山の「無粋なやさぐれ感」が芝居っぽく類型的で、からむ二階堂のキャラも上滑り。後半、怒涛の展開と裏キャラたちで懸命に巻き返すも、すでに手遅れ。「憎み切れないろくでなし」は簡単なようで、役者の素のイメージに左右されるので難しいのです。 [review] | [投票(4)] |
★2 | 何者(2016/日) | 言いたいことは分からなくはないが映画として面白くない。登場人物たちのキャラが類型的なうえ、肝心の各自の背景が言葉で語られるだけで、逸話が「画」として描かれないなので群像劇として膨らまず薄っぺら。結果、今さらな甘えとセンティメンタリズムが突出する。 | [投票(1)] |
★5 | ほとりの朔子(2013/日=米) | 静的な状況が静的なままどんどん変化し、新たなものが飛び出して観る者の関心を釘付けにし続ける。なんとも不思議なダイナミズム。起承転結ではなく、人と人の関係性のなかに物語を見出していく深田晃司のドラマ構築力にオリジナリティーを感じる。 | [投票(3)] |
★3 | 蜜のあわれ(2016/日) | 二階堂ふみの蓮っ葉な口跡が呪文のように魅惑的。『この国の私』で生と死の狭間に生じる「艶めかしさ」を発散させたように、今度は、そっち(虚)とこっち(実)の「あわい」の存在を浮かび上がらせる。「不確実さの確信」とでも言うか、確かに彼女は琉金に見えた。 [review] | [投票(3)] |
★5 | 劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ(2011/日) | 応援歌は確かに糞である。そこに潜む微妙な優越感と劣等感は相互のもたれ合いという甘えとして露呈する。自らが共鳴できる先を、自らの力で見つけたとき人は「たじろぎ」から解放され一歩前へ踏み出ることができるのだ。その原動力は応援などではなく共振である。 [review] | [投票(1)] |
★4 | リバーズ・エッジ(2018/日) | 4:3の画面のなかに再現される1990年代前半の高校生たちの魂の不全。彼らは自分たちの非力さにも、やがて無防備なまま世紀末の荒れ野に放たれることにも、まだ気づいていない。が、彼らは虚ろな決意を呪文のように繰り返す。私たちは平坦な戦場を生きのびる、と。 [review] | [投票(4)] |
★3 | 渇き。(2014/日) | 役所広司が「らしい」芝居をすればするほど中島哲也の「らしさ」がかき消される。中島「らしさ」とは映像技術と楽曲を駆使して、非日常的な祝祭性で物語をデコレートしまう技のこと。ミステリもアクションも生煮えで異次元へワープせず映画的な興奮なし。 | [投票(2)] |
★5 | 私の男(2013/日) | 激しく家族を希求しながらも、絶対に家族になり得ない「愛」を生きざるを得ない者たち。この二重に否定された関係が紡ぎだす、おぞましくもピュアな「愛」は内へ内へと閉じこもるほどに濃密さを増し、他者を寄せ付けない迫力をはらむ。稀代まれな反・家族映画。 [review] | [投票(4)] |
★4 | 四十九日のレシピ(2013/日) | 誰とも血のつながりを持たなかった乙美(荻野友里)は、誰とでも係わり合うことで生きている実感、すなわち自立を手にした。血縁にしろ他人にしろ、永作博美と原田泰三夫婦のような依存は、心の蘇生を阻害することはあっても促進することなどない。 [review] | [投票(2)] |
★3 | 日々ロック(2014/日) | そのままデビューできそうな二階堂ふみの「4つ打ち今風アイドル」のリアルと、戯画化された野村周平の「くの字男」のヘタレ演出が相容れず観心地がいまひとつ。ギャップは、入江悠渾身怒涛の暴風雨でも払拭できず目指しただろう「カンドー」が大味。 | [投票(1)] |