★3 | ストレイヤーズ・クロニクル(2015/日) | 悪くないトーンだとは思うが、世界との関係性に演出が無自覚だからママゴトにしかならない。又、この今更題材に期待した石森章太郎や平井和正への憧憬も充たされることはない。『Xーメン』以降に問うべきものとして終盤のグダグダな崩壊は無残だ。 | [投票(1)] |
★4 | ポテチ(2012/日) | 上滑る台詞が痛い序盤だが、木村文乃が進行の主導権を握ってからは一気に血流回復。 南朋・石田との掛け合いの妙が牽引する物語は、しかし、各人の想いが拡散気味。それを球場で強引に収束するラストに騙された感はあるが何故か気持ち良いのよ。 | [投票(1)] |
★3 | 騙し絵の牙(2020/日) | リアルワールドで苦境に立つ出版業界が生き残る術とはみたいなところに踏み込んで馬脚を現した感が拭い難い。パワーゲームの主線で暗躍する大泉がらしさを封印されハッチャケ切れぬのも映画を封殺した。ただひたすらにノーブルな松岡茉優が良いだけ。 | [投票(3)] |
★5 | ひとよ(2019/日) | 境界線上で落ちかけている兄妹3人が母の帰還を契機に踏み止まる物語で、取り巻く人々や環境描写は乾いた善意を内包する。徒らに絆なる言葉を標榜する時代を俺は嫌悪するが、4人の役者が関係性の行間まで読み切り醸成する空気にはそれがあったように思える。 | [投票(1)] |
★5 | 蜜蜂と遠雷(2019/日) | 天才が自己回復するのに我々凡人がわかる映画描法でなく訳分からん馬で起動する何かを表象した。社会から隔絶した何処かで世界の波動に耳を傾ける海岸シーンの無垢な悦びも束の間、コンクールという世間に戻って勝ち上がる。与えられし者への惜しみない賛歌。 | [投票(2)] |
★5 | 勝手にふるえてろ(2017/日) | 内省的文学語りな自己表現の危うさをイタさの全肯定と恋愛への迷い無さを伴った演出の強度がぶっとばす。ギミックも冴え特に歓喜を表す他者語りが反転し社会関係の隔絶に転じるあたり鮮やかだ。恋愛は綺麗ごとじゃない。終盤の愁嘆場はそういう意味で完璧。 | [投票(7)] |
★4 | ちはやふる 下の句(2016/日) | 孤高とも言えるクイーンの登壇により、ぬるま湯で屁をこいたような三角関係にも背骨が通りウジウジ男はふっきれドS野郎は漢気を見せる。かくして作劇のベクトルは一気に全国大会へ向かいたいが主人公が浮つき強度は生半可。が、ともかく「上の句」より良い。 | [投票(2)] |
★4 | ヘルドッグス(2022/日) | 当初目的のファイル奪取は放逐され東鞘会殲滅のいてまえ展開だが、多彩な人物群とディテールが原田の仕掛ける趣向と噛み合い飽きない。岡田の格闘技への拘りと肉体リアリズムは心根の童貞感を抑えて番張るに十全。彼奴も此奴もな展開はどうだかだが。 | [投票(1)] |
★4 | blank13(2017/日) | 『生きる』現代版的構造に陥るところを葬儀シーンへのライブ感傾注により回避し、結果一家の過去時制のみが鈍色に純化されて浮かび上がる。磨り硝子越しの取立屋はじめフラッシュバックされる鮮烈なイメージは演出を左右するリアルの抽斗に裏打ちされている。 | [投票(1)] |
★5 | 愛にイナズマ(2023/日) | 理屈つかないことが現実にはあるというモチーフがきれいに回収できたとも思えぬが回収する必要もないというのもこの世の中の現実だし物語は流れに任されて転げていく。それが圧巻。きれいごとの屁理屈は隠された誠意や真実や正義や愛の稲妻にぶっ飛ばされろ。 | [投票(1)] |
★4 | 桐島、部活やめるってよ(2012/日) | 部活組と帰宅組と間で揺れ動く者の青春の悶々という超ミニマム命題が、素晴らしくシュアな技術と技法で解題されそうになるが、そういう閉じた空間を破り外世界を窺うにオタクどものゾンビごっこを持ち出した時点で退く。そんなもん屁のつっぱりにもならない。 | [投票(4)] |
★4 | 万引き家族(2018/日) | 子供虐待時代の受け皿が社会システムからの逸脱者コミュニティってのは殊更目新しくもないが演出と演者の付与するリアリズムが圧倒的なので形骸化しない。素麺シークェンスの暑さと見せブラと裸体と驟雨の連鎖。過去が照射される拘置所のさくらの慈母性。 | [投票(3)] |
★4 | 映画 聲の形(2016/日) | 障害を描くに呵責ない攻撃性を内包し観る者に己の加虐性と向き合うことを強いる。彼女の「声」こそこの映画の決意。だがその決意は主人公のディスコミュ復権話にすり替えられえる。キャラ付けは女子3名は多面性を備えているが男たちは悲しいくらいに形骸的。 | [投票(3)] |