★3 | 226(1989/日) | この事件(クーデター)はまだ「歴史」になっていない。どんな評価が下されるのかは今後の日本の政治形態で大きく変わるだろう。 | [投票] |
★3 | 金閣寺(1976/日) | 青年の「唾棄すべき現世」というモノが本作では見えてこない(描き切れていない)。故に「生=性」としか捉えぬ三島由紀夫の偏った一面ばかりが強調される。これではアノ怖ろしい市川崑の『炎上』に及ぶべくも無い。安心して鑑賞出来てしまう。 | [投票] |
★3 | やくざ坊主(1967/日) | 多彩な曲者が脇にずらっと並ぶ。だが彼等と勝新太郎との絡みが単発で終わる為、ストーリーに膨らみがでる前に萎んでしまう。なんたって成田三樹夫に小川真由美です。勿体無い脚本でした。 | [投票] |
★3 | 利休(1988/日) | 勅使河原流ゲイジュツの出番は垣間見える程度であり、ストーリー展開を追うだけで無為の時間が過ぎる。しかも「歴史」という壮大で興味溢れるストーリーが存在する為に勅使河原のオリジナル性は埋没する。歴史劇に芸術性は不要だと確認できる。 | [投票(1)] |
★3 | 豪姫(1992/日) | タイトルに偽りあり。いったい誰を主軸に据えたドラマだったのか?主役が二転三転する中にあって、歴史の面白さは埋没し、フィクションの三流恋愛ドラマが思い出したかのように顔を出す。残念ながらこれが巨匠の遺作というものなのだろうか。 | [投票] |
★5 | 新座頭市物語 折れた杖(1972/日) | やはり座頭市を髄まで知り尽くした男が自ら監督すると、こう撮るのかと感心していたら、実は脇の人物を丹念に描く事に力を入れていた。ピントがぼける程のクローズアップでドラマを浮き彫りにし、俯瞰で流す。勝新太郎は歴代の大映監督たちを一蹴した。彼が見ていたのは勅使河原宏だけだ。 | [投票(1)] |
★3 | 座頭市喧嘩太鼓(1968/日) | 市に絡む女優と好敵手の男優をゲストに迎える本シリーズにおいて、女優がこれほど際立った作品はなかった。芝居が出来、かつ存在感を醸し出す三田佳子(元東映)。 [review] | [投票] |
★4 | 兵隊やくざ 強奪(1968/日) | 大宮一等兵が吐き捨てる「ニッポンは負けたが俺が負けた訳じゃねぇ」。そして勝新太郎が言う「人間の子だ!」 [review] | [投票] |
★3 | 座頭市二段斬り(1965/日) | 回想シーンにモダンな演出が見られ、身を乗り出させるもそんな高揚は一部でしかない。後に北野武が撮りたくなる動機が理解できる気もする。撮り方でいかようにも映えるのが座頭市だから。 | [投票] |
★3 | 座頭市御用旅(1972/日) | 座頭市の居合いの「間」は勝新のプロフェッショナル振りが窺える。さぞや現場の空気は張り詰めていた事だろう。だが、かたや演出の「間」はどうだ?座頭市の魅力は「間」と勝新のクローズアップから溢れてくるはずなのに・・・ [review] | [投票] |
★3 | 極道の妻たち(1986/日) | 極道の妻という存在に着眼し、その存在故のドラマづくりは映画史に新たなページを開拓した功績は大きい。しかしそれも岩下志麻の役作りがあったればこそ。岩下志麻の他には見所が無いということが哀しくもある。 | [投票] |
★5 | 大魔神(1966/日) | 爬虫類が巨大化した怪獣と違い、彼の恐怖は彼が「神の意志」を持ち、追いかけてくるからだ。その他大勢として逃げ回ることも隠れることも出来ない。絶対に捕まるぞっ! | [投票(5)] |
★3 | 大魔神怒る(1966/日) | あまりにもストレートなタイトルに唖然とするが、彼が暴れる様は映画史上稀に見る「暴力」と破壊。普通の怪獣映画なら「破壊」だが、彼の場合はまさに「暴力」。だから本当に恐かった。 | [投票(3)] |
★3 | 鉄砲伝来記(1968/日) | あのヘンリー少尉に日本語を喋らせただけでもファンにはたまらない喜びがある。若尾文子とのカップルは異常な身長差で笑えるし、黄門様と風車の矢七のコンビも感慨深い。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 大魔神逆襲(1966/日) | オープニングから特撮の見せ場である。大映のコレは等身大の怖さ故、ミニチュアの破壊ではなく実物大の破壊がリアルで生々しい。特撮で本当の恐怖が味わえるのが本シリーズの真の伝説であろう。 | [投票] |