井上堯之の映画ファンのコメント
ぽんしゅうのコメント |
結婚(1993/日) | 第1話・アホまるだしのシンデレラストーリー。脚本の桃井章は、かおりさんの実兄。第2話・お手軽鈴木清順ワールドが炸裂。腐っても清純。(3点)第3話・それなりにムードはあるが、クライマックスの告白シーンが最悪。やはり恩地日出夫。(2点) | [投票] | |
恋文(1985/日) | 役者の芝居に重点を置きすぎた演出に違和感があり、神代特有のいつものムードが出てこない。無意味で不用意な子供の顔へのズームがその象徴。井上堯之の音楽も全然ダメ。 | [投票] | |
アフリカの光(1975/日) | 逃げ出さないということ。立ちはだかる障害に果敢に立ち向かうこと・・ではなく、自らが置かれた状況から落ちこぼれないようぶざまでもしがみつく。そんなネガティブなエネルギーの存在を忘れてはいけない。 | [投票(2)] | |
火宅の人(1986/日) | 我がまま男をめぐる三人の女の話として観れば、若さの勢いでこなす原田美枝子は順当無難な出来で、松坂慶子の堕ちた女はどこか居心地が悪いのは美し過ぎるが故か。置かれた状況での心の有り様が全身に噴出して見栄えが変わるいしだあゆみの映画。 | [投票] | |
愚か者・傷だらけの天使(1998/日) | 真木蔵人はアクション俳優として、ブレイクする予感を漂わせている。誰か、彼の才能を開花させてやって欲しい。 | [投票(1)] | |
居酒屋兆治(1983/日) | 伊丹十三の悪口三昧に高倉健がブチ切れて、見かねた池部良と一緒に殴り込みをかけるのかと・・・建さん、師匠(東野英治郎)や恩師(大滝秀治)にも義理堅いし、これ『昭和残侠伝』かと・・・。メリハリを保ち情に流されない大野靖子の脚本がいい。 | [投票(1)] | |
離婚しない女(1986/日) | 男が考える“愛”と女が感じているそれとの差は、1000倍くらい有るのではないかと頭を抱えてしまう。お互いに、そこは見て見ぬ振りをしながら生きていくほうが良い・・たぶん。間違っても確かめようとなど、思わぬほうが良い・・きっと。 [review] | [投票(1)] | |
遠雷(1981/日) | 家と土地の呪縛。農家という今でも不自由さを残す空間を生きながらも、永島敏行と石田えりが発散するすがすがしさは、まさにもぎたての果実や野菜だけが持ち得る青い力のようだ。許せないのがジョニー大倉の甘え。また長いんだ、このエピソード。 | [投票(4)] | |
青春の蹉跌(1974/日) | 男の野心、女の打算。その行方を見据える冷徹な姫田真佐久のカメラ。井上堯之の音楽も良い。神代辰巳、非ロマンポルノの前期の傑作。 [review] | [投票(8)] | |
雨のアムステルダム(1975/日) | 凍った湖面を滑る虫けらのような死骸。 | [投票(1)] | |
ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004/日) | 抑圧から解放された若き米兵たちの精気が渦巻く60年代の本牧。狂騒の上澄みを、気ままに謳歌した同世代の音楽不良どもの同窓会。彼らにとって音楽は文化などではなく日常(自分)そのものだったのだろう。彼らもまた、アメリカの洗礼を受けた幸福な日本人なのだ。 | [投票] | |
太陽を盗んだ男(1979/日) | ポップな倦怠と反官憲ぶりが素晴らしく心ときめくが、渋谷の攻防が終わってカーチェイスあたりからの一対一の「決闘」の無駄の過剰は凡庸さを力まかせに誤魔化した結果。寡作のあまり評価高過ぎ。後半が整理しきれず3点で十分なのだが、ラストショットは完璧。 | [投票(4)] | |
炎の肖像(1974/日) | ケンカ(闘争)を捨てアイドルロッカーとなった男(沢田研二)にとってステージのみが自己を確認できる場でありながらその対象は顔の無い大衆でしかなく、個へと戻った彼が中山麻里・秋吉久美子・原田美枝子という3世代の女の狭間を彷徨うさまは実に70年代的。 | [投票] | |
カーテンコール(2004/日) | 物語の上辺だけ無難になぞってみたころで感動など生まれるはずもなく、過去と現在という時間と下関と済州島という空間をただただ散漫に人が行き来するのみ。映画への愛を謳うならもっと誠実に人と時代を語れ。民族差別を憂うのならばもっと真剣に国と人間を怒れ。 | [投票(1)] | |
ダイアモンドは傷つかない(1982/日) | 80年代初頭、女性の価値観が激変していた時。企画に残間里江子、脚本が田中晶子。いわゆる世は翔んでる女の時代。藤田敏八も何をどうしたら良いのか分からなかったのでは・・・ | [投票(1)] | |
傷だらけの天使(1997/日) | やっぱ、なんたって知世ちゃんでしょ、この映画。4点あげちゃう。 | [投票] |