★5 | 巨人と玩具(1958/日) | 急速に自転しながら成長する経済の渦が大衆消費の巨大な渦を生み、その渦は相互に作用しながらスピードを加速する。その中で蠢くのは無数の異星人。スピンアウトされた男は宇宙服で身を固め、銃をかまえて気弱に笑う。きっと増村保造は日本が嫌いなのだ。 | [投票(2)] |
★5 | 天国と地獄(1963/日) | 追いつめられる男達の映画。権藤は権力争いと倫理観に、運転手・青木は主従関係と恩義に、戸倉警部は正義感と権藤の立場に、犯人は大きな傷と世論に・・・切迫感の波紋と伝染。 | [投票(11)] |
★4 | 生きる(1952/日) | 個人と組織。三人集まれば組織は出来上がる。そして組織はお互いの個を殺し合いながら増殖し活力を増す。結局この問題は自分が独りにならない限り解決できないのです。 | [投票(5)] |
★4 | 野良犬(1949/日) | 執拗に描き込まれる暑気は、善悪入り乱れ、いまだ終戦の行く末定まらぬなか、ひたすら明日を生き抜く人々が発する熱気の総体でもある。うだるような暑気のなか、白い背広姿をくずさぬ若き刑事(三船)の頑なさは、軍隊帰りの青年が未来を希求する強さの証なのだ。 | [投票(2)] |
★3 | 足にさわった女(1952/日) | 無声映画のようなオーバーアクションと、速射砲のように繰りだされる早口の台詞。池部良、越路吹雪、山村聰のリズミカルな躍動のアンサンブルに音楽映画を見ているような錯覚を起こす。伊藤雄之助の怪演と可愛らしい岡田茉莉子も必見。 | [投票(1)] |
★3 | 眠狂四郎 女地獄(1968/日) | 田村高廣 、伊藤雄之助登場で個性がぶつかる狂四郎との三すくみ状態はなかなかの面白さ。シリーズでは久々の男臭さが漂い嫌がおうにも期待は高まるものの、終盤妙に話しが入り組みだして鬱陶しい。もっとシンプルでカッコいいチャンバラが見たかった。 | [投票] |
★5 | 血と砂(1965/日) | 「戦争のやり方は教えたが、人殺しは教えていない」 小杉曹長(三船)の矛盾に満ちたひと言に、戦争を体験せざるを得なかったヒューマニスト(岡本)の精一杯の抵抗と苦渋が滲む。葬送曲「聖者の行進」の〈明るさ〉の意味を突きつけられ思わず身震いし感涙する。 | [投票(3)] |
★3 | 若い東京の屋根の下(1963/日) | 吉永小百合が最も輝いていた時代だ。膨大なプログラムピクチャーの中の1本にすぎない消耗品的この作品でさえ、彼女の小鹿のような躍動感あふれる身のこなしとクルクル変わる愛らしい表情だけで、ひと時も画面から目を離すことができない。 | [投票] |
★4 | 関東無宿(1963/日) | 戦後的女子高生(松原千恵子/中原早苗)の偶像となったアナクロ侠客(小林旭)は、さらに任侠道にもとる親分(殿山泰司)に失望し、伝統芸のごとき華麗なイカさま技に導かれペテン師女(伊藤弘子)との愛欲に堕ちる。その極太眉に滅びのマゾヒズムを見た。 | [投票] |
★3 | 裸足のブルージン(1975/日) | 過去の亡霊に捕らわれた、善意の者、悪意の者、意図せざる者たちの呪縛の融解と解放。そんな理屈っぽい観念を、なんとか笑いでくるみたいのだろうが、いかんせん藤田敏八に喜劇センスのカケラも見えず、そこはそれ理屈っぽい笑えない話しのままでも味は味。 | [投票] |
★3 | ビルマの竪琴(総集編)(1956/日) | 水島の行動とそれを目にする隊員達との間にある微妙な距離。その距離は、何よりも自分が一番大切だということを、正直に認め合う両者から生まれる。過剰な感情移入がなく、爽やかですらある。
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★5 | 肉弾(1968/日) | 何かに反抗するわけではなく、いたって従順。かといって諦観するでもない。ニヒリスト、合理主義者とも少し違う・・・こんな男がいちばん強くて怖い。 | [投票(5)] |
★1 | エデンの海(1976/日) | 主演4本目とは言え役者としては素人同然の山口百恵だからこそ、西河克己は手取り足取りでどうにでも清水巴というキャラを創作できたはず。やる気がないのか、出来なかったのかは知らないが、あまりにも放置し過ぎ。馬場当脚本も時代感なさ過ぎ。 | [投票] |
★2 | 若い人(1952/日) | 67年の日活版を先に観たので、この生真面目で深刻な演出を重く感じてしまう。橋本先生(久慈あさみ)の理想主義者ぶりに比べて、スミ(島崎雪子)に無邪気な色気が足りず慎太郎(池部良)の葛藤が宙に浮き杉村春子の熱演もトーンが合わない。 [review] | [投票] |
★4 | 何処へ(1964/日) | 大らかである。松原智恵子や十朱幸代だけでなく、下宿のブス子さん(桜京美)やおばちゃん女優さんの純朴なずうずうしさがいい。英語教師・高橋英樹と体育教師井上昭文の爽やかな無骨さもいい。何よりもこの山間の街の風景が心を洗う。
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★4 | 日本のいちばん長い日(1967/日) | 国家の消滅。他国を配下に治めることを命としてきた指導者達だからこそ、敗戦を決断せざるを得なかったときの恐怖は計り知れないものだったのだろう。国家自体も存在を誇示せず、国民もその存在を忘れて生活できる状況が最も幸せなのかも知れない。 | [投票(2)] |
★4 | 明日は咲こう花咲こう(1965/日) | 姫田によって、さりげなく写し撮られた野山や川の瑞々しい風景が、因習に捕らわれた地方生活者の心の奥の純朴さを暗示して、この類型的な成長物語に類型以上の力を与えている。これこそが映画の力だ。吉永も愛らしく、ドタバタ劇も楽しいではないか。 | [投票] |
★4 | 億万長者(1954/日) | 映画公開の1954年は米国の統治から解放されて2年、朝鮮戦争特需の余韻に浸っていたころで、さらに2年後には「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれた時期。だから税金払えない人の言い訳も、払わない奴ら居直りも、どこか明るく力強いのかなって感じました。
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★3 | 現代インチキ物語 騙し屋(1964/日) | 占領下に置かれ続ける沖縄。福祉が及ばず街頭に立つ傷痍軍人たち。加熱する大学受験と裏口入試。東京オリンピック前夜の経済成長に沸くニッポンの裏に隠れた問題をさりげなく皮肉る社会派コメディ。個々のエピソードは面白いけど構成に起承転結がなくコント集の感。 [review] | [投票(1)] |
★4 | プーサン(1953/日) | 越路吹雪を美人だと言いはる時点で、すでにアバンギャルド。戦後の混乱と復興の上昇機運が絡み合う社会の歪みがそのまま、笑っているのか苦しいのだか分らない表情となって伊藤雄之助の顔面に貼り付いるようだ。時代に身をゆだね流される悲しき可笑しさ。 | [投票(1)] |
★3 | 赤毛(1969/日) | 乙羽信子の痛切な「ええじゃないか」に、信用に足るものなど絶対に、上から勝手に降りてきたりしないのだという岡本喜八の体験的信念が滲む。「葵」が「菊」に代わったように、今だって「菊」が「星条旗」になっただけじゃないかと言いたかったのだろう。 | [投票(1)] |
★4 | いろはにほへと(1960/日) | 投資組合理事長(佐田啓二)以下、胡散臭い男たちが集う事務所にはビル建設の騒音が響く。病身の老母と未婚の妹、総勢6人が同居する刑事(伊藤雄之助)の木造平屋。戦後復興の成長と沈滞を象徴する「場」を往還する欲望と正義と権力のピカレスクの妙。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 華岡青洲の妻(1967/日) | 息子の成功を祈りつつ医者の家系を守ろうとする母親(高峰秀子)の言動はいたってまともで、嫁(若尾文子)の方が嫉妬で被害妄想にとらわれているだけに見えてしまうのは、やっぱり私が男だからか。叱られ覚悟で書くが、女の閉塞物語はつまらない。
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★3 | 大番頭小番頭(1955/日) | 大番頭(藤原釜足)は権威や権力ではなく矜持の人として描かれ、アプレ世代の大卒番頭(池部良)や若社長(伊藤雄之助)、女子高生(雪村いづみ)も「古さ」を否定しない。「大時代的なもの」を笑いつつ古いものへの敬意と優しさを欠かさない上品な喜劇。 [review] | [投票] |
★5 | しとやかな獣(1962/日) | 原作は戯曲なのだろうか。中空に浮いたかのようなアパートの部屋に巣くった欲望と邪心を、内と外、上と下といった「視線」と「視点」の変化でさばく川島演出が見事。「世間」に対する若尾文子の静だが強烈な攻撃力と、伊藤雄之助、山岡久乃の達観した守備力の妙。 [review] | [投票(2)] |
★4 | 椿三十郎(1962/日) | 黒澤作品群の中でアクション喜劇として異彩を放つ。若侍連、奥方親子、捕虜侍、悪巧み三人組、城代家老らの、生真面目さや自然体が生み出す可笑しさの中に配置された三十郎と半兵衛の突出が爽快でもあり、哀れでもある。作れそうで作れないハードコメディ。 | [投票(2)] |
★3 | 春を待つ人々(1959/日) | 個性的なキャラクターをちりばめ、過不足なく喜怒哀楽を織りまぜた群像劇に仕立てた脚本が見事。家族劇にありがちな矮小さが感じられないのは、関東と関西を行き来する空間移動や、過去のスキャンダル発覚といったダイナミックな時間移動の仕掛けの巧みさゆえ。 [review] | [投票] |
★4 | 愛人(1953/日) | 鉄風(菅井)と諏訪(越路)の天然ズレをベースに、暴走娘(有馬)が引っ掻き廻す家族の噛み合わない思いと行き違う台詞の妙味。井上邸のボロ屋敷ぶりも舞台装置として好い隠し味。雨が降り出したら、まず洗濯物を取り込むこと。いつか必ず、また陽は差すのだから。
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★4 | にっぽん泥棒物語(1965/日) | まるで盗む自由までもが保証されたように、戦後混乱期を突進する義助(三國連太郎)が、そのまま映画の推進力となるアナーキーでエネルギッシュな演出がみごと。随所に散りばめられた 伊藤雄之助、市原悦子、花澤徳衛、千葉真一、加藤嘉らの怪演も楽しい。 | [投票(1)] |
★3 | 侍(1965/日) | 三船の運命が示唆されるタイミングがもっと早ければサスペンスとして盛り上げようもあったろうし、あるいは終焉ギリギリまで引き伸ばしていればギリシア悲劇のような絶望が生まれたかもしれない。岡本演出のメリハリの良さや伊藤の怪演が、橋本脚本の荒を隠す。 | [投票] |
★4 | 忍びの者(1962/日) | 恐るべし百地三太夫(伊藤雄之助)の怪演ぶり。あきれる信長(城健三郎)の快復ぶり。ふたりの怪物に挟まれた市川雷蔵・藤村志保カップルの清廉なこと。山本薩夫のアクション演出も快調。 | [投票(1)] |
★5 | ああ爆弾(1964/日) | 折衷は弛緩と堕落を生むが、競合は表現の次元を拡大する。ここに取り込まれた和洋新旧、種々雑多な要素は、互いに融合などせず競合しながら既存の喜劇とは異なった別のステージの「可笑しさ」を生んでいる。要は、喜劇を突き抜けてしまった可笑しな映画なのだ。 [review] | [投票(2)] |
★3 | 天晴れ一番手柄 青春銭形平次(1953/日) | チェイスシーンのコメディアスなオーバーアクションは、まるで米国アニメを思わせる。顔、顔、顔のアップでつなげる大胆なリズムも面白い。若輩平次(大谷友右衛門)の懸命ぶりと頼りなさや、勝気なお静(杉葉子)ら娘たちの丁々発止ぶりも楽しい。 | [投票] |
★3 | 太陽を盗んだ男(1979/日) | ポップな倦怠と反官憲ぶりが素晴らしく心ときめくが、渋谷の攻防が終わってカーチェイスあたりからの一対一の「決闘」の無駄の過剰は凡庸さを力まかせに誤魔化した結果。寡作のあまり評価高過ぎ。後半が整理しきれず3点で十分なのだが、ラストショットは完璧。 | [投票(4)] |
★4 | 警察日記(1955/日) | 空襲警報や身売りやら、いつの話かと思ったら自衛隊があるのだから敗戦から10年近く経った昭和30年頃の話。日本はなんと貧しかったのか。ユーモアたっふりに群像を描いてみごとな井手俊郎脚本が、同時に真心だけでは解決できない問題まであぶりだす。 | [投票(1)] |
★5 | 楢山節考(1958/日) | 人々が喰らい続けることそのものが、実は人々を死へと追いやる原動力であり、すなわち日々を生きることそのものが限りなく残酷なことであるという無常観。嬉々として山へ向かうおりん(田中絹代)の絶対的自然崇拝心こそが、日本人の美徳というものだろう。 | [投票] |