「小津安二郎」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
レベッカ(1940/米) |
「マンダレイ」という語の響きがまず甘美かつ不気味で、魅惑的だ。超自然と俗の間で揺れる物語をジュディス・アンダーソン(超怖い)とジョージ・サンダースで支える配役法。撮影技術的には映写機の間歇的な光線がジョーン・フォンテインの顔を照らすカット、屋敷を回遊するがごとき終幕部のカメラワークが目立つ。 (3819695) | [投票] | |
怖い話だ。しかし不快ではない。[フィルムセンター] [review] (Yasu) | [投票(1)] | |
何度見ても新たな発見のある映画。サスペンスではなく女性の成長を描いた映画と見る人もいよう。マンダレーの描写が素晴らしく、南仏の風土描写との対比によってさらに際だってくる。 (ジェリー) | [投票(3)] | |
「『嵐ヶ丘』を作ったのは私です。ワイラーは監督しただけですよ」と云ったのはサミュエル・ゴールドウィンだが、『レベッカ』もやっぱりセルズニックの映画だろう。 [review] (ゑぎ) | [投票(2)] | |
映画として娯楽性がいかに大切かを示した映画。いったん入ったらラストまで抜け出れない。豪華絢爛の俳優、衣装、何よりストーリー。見ている私たちは主人公に完全に感情移入している。映画作りの基本、ここにあり。 (セント) | [投票(2)] | |
芸術品!『サイコ』は別にしてヒッチコックのモノクロ映像が独特のものがあります。霧がかったシーンが出演者の心理状況を反映していますね。 (chokobo) | [投票(1)] | |
窓からのぞくジュディス・アンダーソンにぞっとする。あたかもレベッカがそこにいるかのような、見事なラスト。 (動物園のクマ) | [投票(3)] | |
「起」は無粋な主人(フローレンス・ベイツ)、「承」は不気味な世話人(ジュディス・アンダーソン)の両オバハンに翻弄される波乱で、良く言えば巧み、悪く言えば順調に沸点のドン詰まりへ。にやけたオッサン(ジョージ・サンダース)登場で物語は「転」調。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(2)] | |
一見一本調子のようでありながら、決して観客を飽きさせません。ヒッチコックのうまさが凝縮したような作品。 [review] (甘崎庵) | [投票(1)] | |
光と陰を巧く使った映像はカラーに負けない素晴らしい演出効果をもたらしている。 [review] (RED DANCER) | [投票(1)] | |
いやーこんな素晴らしい映画は見たことないっス。ヒッチコックってやっぱ天才ですね。 [review] (G31) | [投票] | |
3.5点。白眉は見えないレベッカの動きを捉えた、ローレンス・オリヴィエが告白する際の浮遊するカメラワークであろう。また、ジュディス・アンダーソンを動かさない(動いているところを極力見せない)こともさすが。ただし終盤はサスペンス・メロドラマからミステリーに変貌してしまい退屈。「ヒッチコック×トリュフォー 映画術」の記述によるとセルズニックに相当口出しされ、ヒッチ本人もあまり気に入ってない様子。 (赤い戦車) | [投票(1)] | |
外国の使用人とか家庭教師とかって、嫌な人ってイメージになるよなあ。ロッテンマイヤーさんとか (ペペロンチーノ) | [投票] | |
マンダレイの屋敷で、廊下越しに捉えられる開かずの「西の部屋」の扉、その前に侍る犬、それをカメラが捉えるだけでサスペンスな空気が漂う。もちろん傍らにジュディス・アンダーソンの存在を否応なく意識させられるからこそなのだが。 [review] (緑雨) | [投票(3)] | |
ヒッチとしてはストーリーに従属してる感があるが、それだけ原作の趣向は確固たるものだった。マンダレイの美術と家政婦アンダーソンの死者への隷属。ポイントさえ押さえれば映画は成立する。ただ、フォンテーンの儚い美しさは計算を凌駕した。 (けにろん) | [投票(3)] | |
シンデレラ童話が語らなかったシンデレラの後日談。解りやすさとコテコテぶりがいまだ美徳のままに見えるのにはわけがある。 [review] (kiona) | [投票(9)] | |
二転三転する終盤や、ゴシックホラー調の雰囲気作りはさすがに上手いが、なんせ風化してて少々退屈。ジュディス・アンダーソンの鬼気迫る雰囲気と、木暮実千代+草笛光子÷2のような顔が見物。['06.5.10DVD] (直人) | [投票(3)] | |
完璧なサスペンス映画ですね。ジュディス・アンダーソン怖すぎ。 (kenichi) | [投票(1)] |