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「ジャン・リュック・ゴダール」(システム既定POV)の映画ファンのコメント

右側に気をつけろ(1987/仏) ヌーヴェルヴァーグ(1990/スイス=仏) 軽蔑(1963/仏) 女は女である(1961/仏) 女と男のいる舗道(1962/仏) ゴダールの決別(1993/スイス=仏) ゴダールの新ドイツ零年(1991/仏) 中国女(1967/仏) アルファヴィル(1965/仏=伊) ウィークエンド(1967/仏=伊) 男性・女性(1966/仏) パッション(1982/スイス=仏) ベトナムから遠く離れて(1967/仏) ゴダールの映画史 第1章すべての歴史/第2章単独の歴史(1989/仏) 気狂いピエロ(1965/仏) 勝手にしやがれ(1959/仏) ゴダールの探偵(1985/仏) ゴダールのマリア(1984/英=スイス=仏) カルメンという名の女(1983/仏) 彼女について私が知っている二、三の事柄(1966/仏)が好きな人ファンを表示する

勝手にしやがれ(1959/仏)************

★5真面目なばかりの映画に嫌気がさしてふざけてみたら、真面目な映画が全部吹き飛んでしまった。その小気味よさは今も有効。 (tomcot)[投票]
★5密告者は密告し、強盗は強盗し、人殺しは人を殺し、恋人は恋をする ― この一言になんもかんも集約されてる気がします (まご)[投票(8)]
★4ヌーヴェルヴァーグというのはそもそも肩肘張って観るような映画ではない。「映画史を変えた!」などという触れ込みを念頭において観るから面倒くさいことになる。可愛らしい「すれ違い」の映画。 [review] (赤い戦車)[投票(3)]
★5冒頭の顔から拳銃へ這うようなカメラでのっけから持っていかれました。あとタバコのポイ捨てはいかんですね。 (田原木)[投票]
★5フィルムつなぎのめちゃくちゃさ。 (_)[投票]
★5ネクタイが短い! [review] (ワトニイ)[投票]
★5たとえば「男の子」と「女の子」。問題は此の「と」であって、そこに息衝く断絶と接続の運動こそ映画の全てだと言うこと。圧倒的に輝く光の白や煙の揺蕩が世界の無償の豊かさそのものなら、その中で男女は断絶と接続のキワを生きる姿を喜劇と悲劇の狭間で演じる。視線と視線は映画の視線を介して互いに断絶し合い、また接続し合い、つまりは「愛」を演じる。瞬間ごとに生きている本来の映画、映画の本来。 ()[投票(1)]
★5事実上のデビュー作にして、(紆余曲折はあるにせよ)ゴダールの方向性を、つまり視覚効果にもっとも重点を置いている、と言う点を世に知らしめた作品。 (beatak)[投票(1)]
★5「気狂いピエロ」より好き。理由は分からん。 (ドド)[投票]
★4一見出来損ないに見えるカット繋ぎと見事に洗練された演出の混在。ジャンプカット自体は今や何ら珍しくない技法となったが、この映画は今見ても新鮮な驚きに満ちている。「映画」とはとりもなおさず「活劇」だ。ゴダールの活劇性はこの処女作から煌めいている。活劇性がいまだに我々を驚かす。 (ゑぎ)[投票]
★5何度見ても理屈抜きに楽しめる映画です。 (とんとん)[投票]
★5パトリシアを主人公として、私は観ましたよ。そうじゃないとチンピラの言動には、全くついていけませんので。 [review] (よちゃく)[投票]
★3手持ちノーライトカメラに時間軸無視の繋ぎや既成曲の断片使用に数多の引用など全てはここから始まった起源的価値を剥ぎ取り残るのは青臭い男女の痴話。先駆者は常に陳腐化するの例えから逃れられてるのは結局ベルモンドセバーグの魅力があるから。 (けにろん)[投票(2)]
★3新聞を売る女と、新聞に載る男。映画文法からの逸脱と、「映画」への追悼のようなもの。 [review] (煽尼采)[投票(2)]
★4やりたい事をやってる感じが伝わってくる。 (マッツァ)[投票(1)]
★5いまだに、ポストカードとか、人気ありますね。 (JEDI)[投票]