「大乱闘スマッシュムービーズ」(Lostie)の映画ファンのコメント
kionaのコメント |
ランボー 最後の戦場(2008/米=独) | 『ランボー 最後の戦場』を見た。他愛が無いといえば他愛が無い映画だった。 [review] | [投票(14)] | |
M:i:III(2006/米) | 郷愁のアクション。 [review] | [投票(17)] | |
M:I−2(2000/米) | 香港時代を期待して、どっちらけた気分になる。高いところで、鳩に小ばかにされながら踏ん張るトムは、まるで逆上がりの出来ない小学生のようだ。 [review] | [投票(4)] | |
ダイ・ハード2(1990/米) | シーン毎のアイデアをリアリズムに優先させる娯楽映画の典型例。クリスマスが純粋に楽しみだった子供の頃のワクワクが詰まっている。とはいえ、無茶な話には中学生当時でも付いていけないものがあり、展開を楽しむというより、その空気を楽しんでいた記憶。 [review] | [投票(5)] | |
ダイ・ハード4.0(2007/米) | マギー・Qとのまったく無意味な乱闘を見ての通り、萌えフィギュア大好き引き篭もりゲームっ子が、特生血反吐大好き気違いチンコ頭の猛烈団塊オヤジから、有無を言わさぬ修羅場調教を受けて、自らもなまナマ大好き血反吐人間に洗脳されていくという……大変良いおハナシ(゚∀゚)ノ | [投票(4)] | |
ランボー3 怒りのアフガン(1988/米) | 国威発揚のレッテルを張られた映画にあっても、掃討される側とあくまで対等の視線を交わすという最低限の礼を、スタローンは保っていた。無理に思想的な見方をしなければ、シュワルツネッガーの高圧的な視線に比べ、ランボーの泥臭さの真価がわかる。 | [投票(3)] | |
ランボー 怒りの脱出(1985/米) | 傲慢な国策と現場の激痛はあくまで別次元の問題だが、前者が後者をプロパガンダに使う危険は、映画にも付きまとう。しかし、この映画がそんなものに陥る危険はない。 [review] | [投票(8)] | |
ダイ・ハード(1988/米) | 限られた動きしか取れないフィールド、シンプルなルールと目的、ちゃんとルールを共有してくれる敵キャラ、いつゲーム・オーバーになるか分からない緊張感…シンプル故に完璧だった初期ファミコン・ソフトの要素を全部持ってる。 [review] | [投票(7)] | |
トゥルーライズ(1994/米) | シュワルツェネッガーのアクションをコメディーと呼ぶ必要がなかったのは『ターミネーター』と『プレデター』だけだ。掃討される側に対する彼の見下すような視線に、健全な勧善懲悪を見出す気にはなれない。コミック・ヒーローのレッテルを剥すのは危険だ。 | [投票(1)] | |
沈黙の戦艦(1992/米) | 『ダイハード』のパクリやん!と言いたい善良な観客をあの顔でひとにらみし黙らせた御仁がブレイクした本作は、パクッたんじゃなく、文字通り盗んだとのまことしやかな噂がある脚本であるだけに、亜流品としては一級品でござい。さすが元CIA。 | [投票(1)] | |
ランボー(1982/米) | ランボーはアメリカが造り出したフランケンシュタインみたいなものだ。その親から虐げられ、暴発せねばならない哀しさ。駄々を捏ねる子供のように切ないラスト。しかし、そんな怪物に対して我々は、恒に同情以上の事はしてやれないのだ。 [review] | [投票(17)] |