★4 | 競輪上人行状記(1963/日) | 人間の欲の何たるかを我が身に刻みつけるように知り、ついに至った清濁あわせ飲む悟りの境地。そのあまりの真正直さが思わず笑いを誘いつつ、春道(小沢昭一)の説法の説得力の強度となる痛快さ。西村昭五郎が放つ、新人ならではのパワフルで荒削りな怪作。 | [投票(2)] |
★5 | 恋恋風塵(1987/台湾) | トンネル、窓の柵、テレビ画面、野外スクリーンといったリー・ピンビンが作りだすフレーム内フレームが、故郷から切り離されていく二人の心象を暗示して美しくも切ない。兵役へと赴く少年を見送る少女。二人の決して交錯しない視線も初々しく、痛々しい。 | [投票(2)] |
★5 | 麦秋(1951/日) | 家族の朝の喧騒で映画は始まり、初夏の風が吹きぬける山あいの麦畑で終わる。簡潔なセリフで日常が積み上げられ、絶妙な映画的視線で日常が紡がれていく。静かだが永遠に続く大海の揺らぎのようなリズムの中、人は人と暮らし、人は人と別れる。 | [投票(4)] |
★4 | 浮雲(1955/日) | ゆき子(高峰秀子)と富岡(森雅之)は、ことあるごとに二人で並んで歩く。そのあゆみは決して交わらず、留まることもなく延々と続く。「僕達のロマンスは終戦と同時に消滅したんだ」・・・成り行きまかせのくされ縁。意思をなくした、二人の恋の物語。 | [投票(5)] |
★4 | インターステラー(2014/米) | 科学が封印され思考が停止した状態に「行動」が加わったとき時間は動き出す。そして時間は止められないというサスペンス映画にとって解決不可能な問題を、守るべきは自分か、家族か、人間かという正解なき命題で煙に巻きつつ壮大なハッタリで無化てしまう力技。 [review] | [投票(5)] |
★4 | ブレードランナー(1982/米) | 記憶の蓄積が、その人間と社会の関係を作る。たとえそれが歪曲されたり捏造されたものであったとしても・・・20世紀の記憶を洗い流してしまうかのように降り注ぐ雨。いったい我々は何を記憶にとどめ、何を忘れようとしているのだろうか。 | [投票(9)] |
★3 | 西鶴一代女(1952/日) | 「堕ちる」ことが先にたち「生きる」ことの情感が見えない。流転のための転落の連続は哀惜や共感を生まないのだ。唯一、城内で息子を追う騒動にのみ彼女の魂が見える。思い起こせば、女が明確に意志(それも感情に煽られた)を示し、貫こうとしたのはこのときだけ。 | [投票(2)] |
★4 | 許されざる者(1992/米) | 欲望、復讐、正義のための殺人。行使する側にしろ、される側にしろ、暴力描写に寂寥が溢れる。誰ひとり許される者などいないのだという事実と、その歴史を甘受せよという、西海岸での成功者(=現代のすべての米国民)に向けられた英雄崇拝主義への幕引き宣告。 | [投票(2)] |
★4 | グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997/米) | この天才青年をめぐる他愛のない青春ドラマが私の心を強く引くのは、男たちの友情物語の裏にガス・ヴァン・サント監督が仕掛けた愛情物語のせいだ。男が男を見つめる視線の熱っぽくて艶っぽいこと。 [review] | [投票(1)] |
★4 | その男、凶暴につき(1989/日) | ’89年。昭和64年でもあり、平成元年でもある年。バブルの“浮かれ疲れ”が漂い始めた年。この作品の“覚めているがゆえの冴え”は、日本映画のひとつの時代への決別を象徴していた。 [review] | [投票(2)] |
★4 | 悲情城市(1989/台湾) | 兵士として戦地から帰還することなく、反乱分子として政府から弾圧され、ヤクザ者として利権対立の中で、障害者として負い目をいだき、家長として一家存続の危機の中、傷つき、果て続ける男たち。ここで描かれる敗北し続ける男たちとは正に台湾そのものなのだ。 [review] | [投票(2)] |
★4 | ラルジャン(1983/スイス=仏) | イヴォンを家に招き入れた婦人は言う。もし私が神なら悔い改さえすれば、あなたを赦すのに。金銭欲と保身のための不実の蔓延は、人が人であることの不幸の証しであり、幸福どころか平穏を求めることすら危うい世界なのだ。それが現代だとブレッソンは言っている。 | [投票] |