★5 | 親は子に「託す」ことによって、満たされぬ現実を生き抜こうとする。託された子供は、その重みに耐えかねてまた自分の子に「託す」ことを繰り返す。希望、失望、希望、永遠の反復。人生という言葉は、そうして過去から未来へと積み重ねられ普遍性を獲得する。 (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★5 | 自分自身の過去・現在・未来とシンクロするたびに小津作品は強烈なメッセージを突きつけてくる。叙情的なショット、スローな展開とのギャップに私は小津中毒になった。 (AKINDO) | [投票(1)] |
★5 | かあやん、息子何てのはこんなものですよ。 (熱田海之) | [投票(1)] |
★5 | 子供の立身出世だけを夢に見続けた母の失望を淡々と描いたほろ苦い傑作。工場シーンはちゃんと機械を入れ替えて撮影し10年前と10年後を描き分けている。 (ジェリー) | [投票(1)] |
★4 | カメラが見つめる「小さきもの」「はかなきもの」。 [review] (くたー) | [投票(5)] |
★4 | 飯田蝶子はまさに「哀れな母親」の原像。工場の門を捉えるエンプティ・ショットが不気味。 [review] (寒山拾得) | [投票(3)] |
★4 | 母親と一緒に見ていたステキなドイツ映画はなんだったのだろう。部屋に張ってあるポスターといい、(小津の中で)ドイツ映画がブームだったのだろうか。詳しい方、どうか教えてくだされ。 [review] (tredair) | [投票(3)] |
★4 | 立身出世に拘り過ぎなのが、やはり戦前なんですね。フスマに貼られた洋画のスターに、当時のインテリ層の好みが見えて面白かったです。ちなみに、マルタ・エッゲールトは個人的に好みなんです。 (りかちゅ) | [投票(2)] |
★4 | 描かれているものが非常に日本的なものだけに、なかなかそのように考えてもらいにくいとは思うが、作品中で大胆に挿入される『未完成交響楽』を見てもわかるように、映画作家としての小津は、当時からかなり西洋志向であったようである。 [review] (ナム太郎) | [投票(1)] |
★4 | 飯田蝶子に対する日守新一の台詞「ひょっとすると僕はもう小さい双六のあがりに来てるんですよ」に戦慄を覚える。その直後、一面に空を映したカットの絶望的な美しさに言葉を失う。 [review] (3819695) | [投票(1)] |
★4 | 安易な貧乏礼賛に走らないところがよい (TOMIMORI) | [投票(1)] |
★4 | 親の期待を裏切った息子として大いに凹みました。 [review] (ざいあす) | [投票(1)] |
★4 | プロットは『東京物語』と似ているが、こちらの方がまだ救いがある。とは言え、深読みすればこの話ももっと悲しいのかも知れないが。[ラピュタ阿佐ヶ谷] (Yasu) | [投票(1)] |
★4 | 貧乏でも基軸がしっかりしていれば人間として誇れるという手本のような作品だが、笠智衆のあっけらかんとした表情やそれぞれのキャストのマジメな生き方がイヤミでないのが小津マジック。 [review] (jollyjoker) | [投票] |
★4 | 厳しく、暖かく見守ってくれる人がいるという安心感。現代で作るとこれが嘘っぽくなってしまうのは何故なんでしょう? [review] (甘崎庵) | [投票] |
★4 | 永代橋を渡った先は江東区。今はこんなに貧しかないです。そして、こんなに人情味の溢れる町でもないです。2004.11.8 (鵜 白 舞) | [投票] |
★3 | 親の期待通りには子供は生きてゆかないという現実を巧い切り口で描いているとは思うんだけど、夜学の教師ってそんな不甲斐ない職業なのか?優しくていい息子だし、嫁さんも感じよくて文句ないと思うんだけど。 [review] (緑雨) | [投票(1)] |
★3 | 小津のトーキー第一作は『東京物語』の遥かなる準備作だ。こゝでも飯田蝶子の芸達者ぶりには舌を巻くが、全体的な感想を云うと彼女を含めて物分りの良い好人物ばかり登場し、毒気が希薄で物足りない。 [review] (ゑぎ) | [投票(1)] |
★3 | 充分立派な息子じゃないか! (太陽と戦慄) | [投票] |
★3 | 恬淡とした佳作。昔の人は映画館にこういうの見に行ってたんだと思うと不思議な気がする。 (coma) | [投票] |
★3 | 頼りない息子にいらつくものの渇を入れる母の台詞に感動。 (kenichi) | [投票] |