En Duva Satt Pa En Gren Och Funderade Pa Tillvaron
A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence
あらすじ | ヨナタン(ホルゲル・アンデション)とサム(ニルス・ヴェストブロム)は「吸血鬼のキバ」や「歯抜けオヤジのお面」といった冗談グッツを売り歩く冴えないセールスマンだ。簡易宿舎に住みながら、コンビを組んで日々セールスに励むが誰からも相手にされず売上げはさっぱりで関係はぎくしゃくしている。そんな二人を中心に「船酔いする船長」「生徒に恋するダンス教師」「カフェの青年をナンパする国王」「酒代の代わりにキスをねだる女店主」など39編の可笑しくも悲しい人々のエピソードが繰り広げられる。『散歩する惑星』『愛おしき隣人』に続く〈人類が生きること〉3部作の最終章となる不条理ドラマ。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。(100分) (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★5 | 狙ってスベるカウリスマキチック手法と美術や世界へ拘泥するタチ文体が一見嫌らしいのだが、ミニマム世界の下世話なコント集が何時しか国王の挿話あたりから時空を超えた挙句に計り知れない終末地獄を垣間見せるあたりの喰えないペシミズムが孤高だ。 (けにろん) | [投票(2)] |
★5 | 大好きなアンダーソン作品。今回は結構しっかり長編してる。3部作の最後だというから力が入っている感がする。相変わらず楽しく、シュールで、哀しく、人生って愛らしく思えるほど。
[review] (セント) | [投票] |
★4 | 喜怒哀楽を増幅し、心に潜む不安や、社会のひずみを描くのが劇映画の常套手段だとしたら、ロイ・アンダーソンは喜怒哀楽を封印することで、その閉鎖された劇空間のなかに、人の愚かさ世の哀しみを、「起こり得るナンセンス」と共振させて増幅してみせる。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★3 | 総括した「人間論」という大上段振りかぶりは俺の好むところではないのだが、コント映画としての大袈裟さに徹したバカ設定は結構買える。わがままに徹する国王の途切れない隊列とか、いちいち代価の代わりにキスを求める酒場の女将なんかは出色だ。日本人が撮ったならコントのお約束でミニマムに治めようとするだろう場面を、馬鹿正直に人海戦術で撮ってゆく姿勢は賞賛に値するだろう。 (水那岐) | [投票(1)] |
★3 | 本作のカメラ位置は、起立した人の目線位置あたり。固定ショットだけで構成される。移動もパンニングも全くない。また、全編、奥行きを意識させる画面構成で、屋外は道が奥に続いていたりし、屋内でも、部屋のドアや窓の向こうが見えるカットばかりで構成する。 [review] (ゑぎ) | [投票] |
★3 | どうしても「今日、人類が初めて木星に着いたよ(着いたー!)」な邦題だが、いまいちノレませんでした。 [review] (プロキオン14) | [投票] |
★2 | テリー・ギリアムのアニメからブラックユーモアをろ過して哀愁で水増ししたような作品。退屈した。「哀しい歌がやめられない」が出色だがどこかで観たような話だ。 (寒山拾得) | [投票] |
5点 | 2人 | ** |
4点 | 6人 | ****** |
3点 | 6人 | ****** |
2点 | 1人 | * |
1点 | 0人 | |
計 | 15人 | 平均 ★3.6(* = 1) |
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