★5 | 「妻」。女流作家(林芙美子)が夫(森雅之)の視点から描き出す妻(高峰三枝子)の肖像が、再度男性監督(成瀬巳喜男)の視点から構成されることの妙。取り交わされる視線はどれも(女に対しても、男に対しても!)残酷なまでに批評的で、同時に自嘲的である。これぞニヒリズムの極北。ヤルセナキオの真骨頂だ。 [review] (町田) | [投票(5)] |
★5 | 夫婦に欠けている“子供”という文字。作るきっかけさえなけりゃ、互いに興味が薄れがち…。だけど、そんな夫婦にふと出来ちゃうのが子供なんだろうなと思ったりするからラストの余韻がムンムン悶々としていても暗くない印象を受けた。 [review] (ジャイアント白田) | [投票] |
★5 | 本音むきだしの愛憎。ともすれば行き場のない煮詰まった感情が炸裂するドラマにするところを、そうなる手前ですかしてしまうところにもっと深い諦めが感じられる。 (ジェリー) | [投票] |
★4 | 女三界に家無しの詠嘆。「私、心なんてそんな重大に考えないわ」。 [review] (寒山拾得) | [投票(2)] |
★4 | なんという厳しさ。もう後半は始終ニヤニヤしっぱなしで見てしまった。冒頭の上原謙と高峰三枝子の視線を交錯させない演出もいいけれど、やっぱりラスト近くの高峰と丹阿弥谷津子の対決シーンが素晴らしい。 [review] (ゑぎ) | [投票(1)] |
★4 | 愛情が己より相手を「より想う」ことで成立するとするならば、底意地の悪さを感じるほど「己」がむき出しにされた中川(上原謙)と妻(高峰三枝子)の関係のどこに愛が蘇る余地があろうか。日常のしぐさと生活音がこんなに不快と不毛を掻きたてるとは。 (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★4 | 超面白い。高杉早苗が来襲する場面なんて最高。高峰三枝子の主婦業ぶりをさんざ貶す高杉。膨れる高峰。オロオロすることもままならない上原謙。挙句高杉も高峰も家を飛び出し、残された上原は三國連太郎と平目をつつくハメに。「君、魚料理できる?」「僕、千葉の漁師の家にいたことがあるから」なんじゃそら。 (3819695) | [投票] |
★4 | ここんちの息子に生まれなくて良かった (kenichi) | [投票] |
★4 | 高峰三枝子のおせんべばりばりがいいね。 (熱田海之) | [投票] |
★4 | 衣食住のうちでご飯というのは重要。 [review] (t3b) | [投票] |
★4 | 「ヤルセナキオ」節、全開。[ラピュタ阿佐ヶ谷] [review] (Yasu) | [投票] |
★3 | 所帯じみた高峰三枝子が新鮮。こんな他愛もない話でも、あるある系の細かい描写が飽きさせない。
(TOMIMORI) | [投票] |
★3 | あまりに図式的な構図に冷酷なものさえ感じるが、夫婦を問いつめていけばこうなるのは必至。でもそれは牙のようにも見えるがどの夫婦にも介在するものでもある。執拗な攻撃に辟易するも、だからこそ [review] (セント) | [投票] |
★3 | カタルシスを解消してくれる何かが欲しいところだ。 (buzz) | [投票] |
★3 | あまり有名じゃ無い作品だと思われるが、高峰三枝子、上原謙双方の持ち味を活かして中々の佳品。若かりし日の三國連太郎がルー大柴に似てる。['03.6.7京都文化博物館] (直人) | [投票] |
★2 | 何か・・何かがもうひとつあれば・・!!!! (あちこ) | [投票] |