★5 | 主人公はカリカチュアライズされた多くのピースで造形され無機的だ。人物としては感情移入しようがないのだが、場面場面ではピースが作用するので受け手の感情は揺さぶられる。受け手の価値観で様々な解釈が可能。こんな映画は観たことがない。凄い映画だと思う。 (Lacan,J) | [投票(2)] |
★4 | 彼女を尊敬し理解しようと近づく者たちにとって彼女はあまりにも不遜で不快な存在だ。同じように、この映画に共感を見いだし楽しもうとする者にとって本作の語り口は徹底して傲慢で不親切だ。よくもまあハリウッドの商業映画でこんな大胆な実験をしたものだ。
[review] (ぽんしゅう) | [投票(2)] |
★4 | ターの発する言葉の翻訳が男言葉なのがまず気になったが、英語でもそういうニュアンスがあるのだろうか。この映画の違和感ははまずそこから始まる。 [review] (セント) | [投票(1)] |
★4 | 不在の亡霊を含めてターと鬩ぎ合う4人の女たち。その演劇的構図の一方で公開質疑・大学での講義・同僚や師との対話といった長尺シークェンスが醸す業界の空気と軋轢。行間を省いた語り口はやがてパラノイアな妄想へ連結していく。ただ終盤の着地は有りがち。 (けにろん) | [投票(1)] |
★4 | ケイト・ブランシェットに出演NGを出された瞬間、脚本自体をお蔵入りするつもりだったらしい。それくらいブランシェットしか考えられない役柄であるし、その気迫は息を飲むほど。体感映画であり、楽しむものではないので注意は必要。タイパタイパとうるさい輩は門前払いなのだ。 86/100 (たろ) | [投票] |
★4 | ChatGPTが自動生成したような、#MeTooの"リベラル"、あるいは、やんわりとanti-wokeなカリカチュア(デイヴ・ルービンとニコラス・クリスタキスの対談を思い出した)にはどうしても苦笑が漏れてくるが、アントン・シガーやレクター博士に比肩するブランシェットの怪演は、物陰に屈んで「斑点のついた黄色いナシを食べながら、崇拝」したくなるようないじらしさがある。おかげで翌朝の夢の中までリディア・ターの化身に苛まれた (袋のうさぎ) | [投票] |
★3 | 一句。今ならば『ベニスに死す』もセクハラか。 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(4)] |
★3 | だからベルリン・フィルは嫌いなんだ・・・という冗談(?)は措くが、兎も角人間たちが首を絞め合い足を引っ張り合う窒息状態で、「延々そんな話かい」とうんざりさせられる(誰もまともに音楽の話をしていない)。裏テーマとして、はるか天上から、その乱痴気騒ぎを後目に「音楽の本質」が静かに嘲りを投げかけているイメージがある。『アマデウス』におけるモーツアルトの嘲笑に近いものを感じる。 [review] (DSCH) | [投票(3)] |
★3 | ケイト・ブランシェットのパフォーマンスには恐れ入る。鬼気迫るものがある。例えば、顔に怪我した状態で指揮をするリハーサル場面なんて、思わず嬌声をあげそうになるぐらい凄いと思った。 [review] (ゑぎ) | [投票(3)] |
★3 | ケイト・ブランシェットが引退宣言したって本気なのだろうか。疲れちゃったのはすごくわかる。 [review] (もがみがわ) | [投票(1)] |
★3 | 冒頭15分近くあるトークショーは、苦痛で辛い。本作主人公のパブリックイメージを観客に紹介する手段としては、上手い導入部分なんだろうが。 クラシック音楽の世界も、随分と狭いジメジメとした世界なんだな、と感じさせてくれる作品。 (AONI) | [投票] |
★3 | 何がどうなっているのか、何が起きているのか、具体的に示されることはなく観る者が「こういうことが起きているのだろう」と想像しながら、その不穏な雰囲気と緊張感のある画作りを楽しむ映画なのだろうなあ。 [review] (シーチキン) | [投票] |
★2 | 俳優らしい演技は、ケイト・ブランシェットにだけ許され、他の俳優は意図的な方法論として「普通の人」の演技が強いられているかのようだ。確かに新鮮味を感じたのは事実ではあるが、ストーリー、照明、美術いずれも優等生くさいメッキ映画だった。 (ジェリー) | [投票(2)] |