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[あらすじ] 硫黄島からの手紙(2006/米)

太平洋戦争末期の1944年初夏。硫黄島の守備隊長として、栗林中将(渡辺謙)が新たに着任した。南洋諸島と本土・沖縄との中継地として重要なこの島。米軍の攻撃はもはや時間の問題であった。それを迎え撃とうとする栗林の戦術が理解できない士官、不足する物資、混乱する現場。それでも栗林は、配下の将兵(二宮和也伊原剛志他)らとともに戦闘の準備を粛々と進めるのであった。[141分/カラー/シネマスコープ]
Yasu

1945年2月、1か月以上にわたる戦闘で日米両軍ともに2万人を超える死傷者を出した「硫黄島の戦い」を、クリント・イーストウッド監督が日本側の視点から描いた作品。『父親たちの星条旗』に続く「硫黄島2部作」の2作目。

硫黄島の戦いにおける日本側指揮官であった栗林忠道陸軍中将が、戦前に駐在していた米国や戦地の硫黄島から家族に宛てて書いた絵手紙をまとめた「『玉砕総指揮官』の絵手紙」をもとに、ポール・ハギスと日系アメリカ人のアイリス・ヤマシタがオリジナルプロットを創作。ヤマシタが脚本にし、日本語に翻訳したものが使用された。

東京から南へ約1,100kmの距離にある硫黄島は、グアム島と日本本土のほぼ中間点に位置し、戦時下の米軍にとっては本土攻撃への足がかりとなるばかりでなく、この島を経由した日本の戦闘機によってマリアナ諸島の米軍基地が脅かされていたという存在でもあった。また日本にとっては、本土へ出撃する米軍のB-29をこの島で確認して早期警報を発するという役割があり、本土防衛のための重要な拠点となっていた。

1944年6月に小笠原地区の兵団長として赴任した栗林中将は、それまで日本軍が島嶼防衛戦でとっていたのとは全く異なる戦術を採用する。それは水際での迎撃や真正面からの突撃を放棄し、島内に地下坑道や洞窟を掘って司令部や砲台などの各施設をつなぎ、ゲリラ的抗戦をするというもので、このやり方は既に南洋諸島・パラオにおける「ペリリューの戦い」でも効果をあげていた。

1945年2月16日に始まった戦闘は、兵員・物量ともに圧倒的優位にあった米軍側の「数日で終了する」という予想を裏切り、3月26日まで続いた。最終的な日本側の損害は死者20,129人、米側は死者6,821人・負傷者21,865人とされている。太平洋戦争で米側の死傷者数が日本側のそれを上回った戦闘は、前述のペリリューとこの硫黄島における戦いのみである。なお、栗林中将の遺体は戦闘後の捜索によっても発見されず、その最期については詳細が分かっていない。

(評価:★4)

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このあらすじを気に入った人達 (3 人)フランチェスコ シーチキン トシ

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