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死ぬまでシネマさんのあらすじ: 点数順

★0福島は語る(2018/日)福島の被災者14人の証言がら成るドキュメンタリー。朗読・題字は高橋長英。劇中の写真は森住卓。〔カラー/170分〕劇場版の他に、<完全版>(5時間20分)がある。第93回キネマ旬報 文化映画ベストテン第2位選出。[投票]
★0緑の海平線 〜台湾少年工の物語〜(2007/日=台湾)第二次世界大戦中の1943〜44年にかけ、「日本領」台湾から8000名余りの少年たちが日本に送られ、海軍工員として軍用機の生産に従事した。神奈川県座間市(高座郡)にあった海軍空C廠(後の高座海軍工廠)から日本各地の軍需工場に派遣された彼らの暮らし、そして戦後日・台・中の異なる社会体制下で如何に生き抜いていったのか、を描く。インタビューによって元少年工の記憶を辿りながら、公式文書にない歴史を記録したドキュメンタリー。 [more][投票]
★0沖縄戦 未来への証言(1986/日)'83年末から始まった1フィート運動により、沖縄県民が1フィート約100円のカンパで米国国立公文書館から購入した8万4千フィート(約30時間)のフィルムをもとに制作された沖縄戦記録映画。55min./カラー/16mm/企画・製作=沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会 ◆ 翌年には『沖縄戦 未来への証言<普及版>』、'88年には『英語版』が製作された。[投票]
★0プージェー(2006/日)切っ掛けは1999年10月、探検家(外科医でもある)関野吉晴が、フジTVをスポンサーに「グレートジャーニー」の旅を続けていく中、モンゴルの草原で一人の少女に出会った事。プージェーはその女の子の愛称である。この映画は、時代の波に翻弄されるモンゴル遊牧民5年間の記録である。110min./カラー [more][投票]
★0あの日 この校舎で 50年前に被爆したナガサキの記憶(1996/日)原爆被爆直後、救護所がおかれた長崎市新興善國民学校。50年後の現在も児童が通うこの学校に、当時の軍医や看護婦、手当てを受けた被爆者たち、惨状を目の当たりにした当時の小国民たちが訪れ、証言する。『広島長崎における原子爆弾の影響』('46)からも引用。ナレーターは山根基世。30min./カラー/16mm/企画・製作=映像社・岩波映像 ◆ '97年キネマ旬報文化映画第7位/教育映像祭最優秀作品賞(文部大臣賞)/日本紹介映画ビデオコンクール優秀作品賞[投票]
★0地域をつむぐ 佐久総合病院小海町診療所から(1996/日)佐久総合病院小海診療所による地域医療の現場の記録。これからの医療の在り方への問題提起を行なう。時枝俊江監督による『病院はきらいだ』『農民とともに 地域医療にとりくみ50年』に続く地域医療3部作の完結篇。語りは広瀬修子。125min./配給=岩波映像 ◆ '96年度キネマ旬報文化映画第2位 [more][投票]
★0ナガサキの少年少女たち 〜証言と映像でつづるナガサキ原爆の記録〜(1996/日)原爆投下当時子供だった人々を中心に、取材構成した記録映画。原爆被爆に至る経過・原爆開発・被爆の惨状・復興・平和推進運動を主な柱として構成。監督はこの作品が遺作となった小笠原基生('96年1月没)。語りは奈良岡朋子。被爆50周年事業の一環として長崎市が企画制作/30min. ◆ '96年度キネマ旬報文化映画第10位[投票]
★0世界の友へ 朝鮮人被爆者金在甲氏の記録(1985/日)17才で日本に強制連行され、炭坑労働を強制された後に徴兵され、長崎で被爆した、長崎県朝鮮人被爆者協議会の長老、金在甲氏の半生の記録。語りは鈴木光枝。◆ 47min./カラー/16mm[投票]
★0漆器づくりの要具 -手仕事の世界(1981/日)研炭・濾紙・漆刷毛・蒔絵筆など、日本の伝統工芸である漆器を作るために必要な用具(要具)作りの妙技に迫り克明に記録してゆく。42min./カラー/16mm/製作=池田プロダクション ◆ '81年キネマ旬報文化映画第1位[投票]
★0歴史 核狂乱の時代(1983/日)アメリカ国立公文書館に眠っている記録映画フィルムを、10フィート1単位で市民からのカンパにより日本に買い戻そうという市民運動、10フィート運動映画3部作の第三作。戦争の歴史の中に於いて核兵器問題を位置づけようとする。米・ソ・中の現地にロケし核開発の状況を伝えると共に、日・米・南太平洋の被爆者の現実を描いてゆく。語りは鈴木端穂。116分/カラー [more][投票]
★0われわれは監視する −核基地横須賀(1975/日)空母ミッドウェーを始めとする米軍第7艦隊の出撃母港、横須賀。米軍幹部や兵士の証言を織り込みつつ、在日米軍の核装備を8ヶ月もの長期定点監視活動で突きとめたドキュメンタリー映画。48min./カラー/16mm/製作=映画で横須賀を記録する会 ◆ '75年キネマ旬報文化映画第10位/ライプチヒ国際記録短編映画祭金鳩賞 [more][投票]
★0予言(1982/日)アメリカ国立公文書館に眠っている記録映画フィルムを、10フィート1単位で市民からのカンパにより日本に買い戻そうという市民運動、10フィート運動映画3部作の第二作。米国から入手した原爆記録フィルムに取材した映像を交え、被爆の惨状を世界に伝え反核を訴えるために作られたドキュメンタリー。5ヶ国語版が制作され、世界の平和運動団体に寄贈された。41min./カラー/16mm/製作=子供たちに世界に被曝の記録を送る会映画製作委員会 ◆ アメリカンフィルムフェスティバル1983年度レッドリボン賞受賞 [more][投票]
★0日本の稲作 〜そのこころと伝統(1974/日)稲作文化に焦点を当て、約1年半にわたって日本中を取材し、滅び行く伝統や行事を記録した映画。'54年に制作されキネマ旬報ベストテンにも入選した『日本の稲作 旧版』(40min)もある。 音楽は『洲崎パラダイス 赤信号』『ゴジラ』シリーズ・『血を吸う』シリーズの眞鍋理一郎。42min./カラー/16mm/制作=英映画社/企画=文化庁 ◆ '74年毎日映画コンクール教育文化映画賞/'74年キネマ旬報文化映画第1位 [more][投票]
★0日本の近代土木を築いた人々(2001/日)日本の近代土木を築いた5人の先駆者、井上勝田辺朔郎古市公威沖野忠雄廣井勇の活躍を通して日本の近代土木建築の歴史を描くドキュメンタリー。監督は『石を架ける〜石橋文化を築いた人びと』『洪水をなだめた人びと〜治水と水防にみる先人の知恵』『明治建築を作った人びと〜コンドル先生と四人の弟子』『石を積む〜石垣と日本人』など徹底して土木映画を撮り続け、数々の賞を受賞している田部純正。ゼネコンの大成建設が企画、制作は日本映画新社/日映企画。58min/16mm ◆ '01年キネマ旬報文化映画第1位/日本産業映画コンクール最優秀大賞[投票]
★0伊勢型紙(1977/日)色鮮やかな染めの技術は、多くが染めの型紙による。一般の人々には知られていない伊勢型紙の型彫り職人の技術を、重要無形文化財に指定された人々(いわゆる人間国宝)によって紹介する記録映画。29min./カラー/35mm/制作=桜映画社/企画=文化庁 ◆ 芸術祭大賞/教育映画祭文部大臣賞・最優秀作品賞/毎日映画コンクール教育文化映画賞/日本紹介映画コンクール優秀作品賞/日本映画技術賞(撮影)/'77年キネマ旬報文化映画第1位/文部省選定[投票]
★0問題はこれからです 続住民が選択した町の福祉(1999/日)前作『住民が選択した町の福祉』('97)で議会を通過した「ケアタウン構想」はその後どうなったか。その後の町長・議員や議会・住民たちの動きを捉え、そして「ケアタウンたかのす」が機能するまでを追う。そして大きな問題である介護保険に対する町の対応。語りは喜多道枝、ピアノ演奏は高橋アキ。125min./カラー/制作=自由工房 ◆ '99年キネマ旬報文化映画第1位/第54回毎日映画コンクール記録文化映画賞 [more][投票]
★0住民が選択した町の福祉(1997/日)厚生省の施策転換により市町村は自らの責任で老人保健福祉計画を策定することになったが、急速な高齢化に対応できる自治体は少なかった。そんな中若い町長が「福祉のまちづくり」を掲げ、町民の自由参加による“ワーキンググループ''を 組織し、町民の提言を積極的に行政にとりあげる姿勢をもつ人口2万3千人の町、秋田県鷹巣町。この町での住民と議会、そして町長と町当局それぞれの努力を'95年3月から約1年間記録した映画。語りは喜多道枝、ピアノ演奏は高橋アキ。〔129min./カラー/16mm〕制作=自由工房 [more][投票]
★0白神の夢 −森と海に生きる−(2003/日)世界自然遺産登録10周年を迎えた秋田県白神山地と、隣接する人口5,000人の八森町で暮らす人々の風景を淡々と描いたドキュメンタリー。語りは伊藤惣一。八森小学校6年生と白神山地から発見された酵母でパンを作っている東京のパン屋さんとの交流を聞き及んだ山下勉が、映画制作会社シグロの山上徹二郎の協力を得て制作に乗り出したという。200min./制作=白神の映画をつくる会/'05年度キネマ旬報文化映画4位。[投票]
★0闇を掘る(2001/日)北海道に残された最後の炭鉱(ヤマ)、そこに生きた人々を描く長篇ドキュメンタリー。語りは小林三四郎。105min./カラー/16mm/芸術文化振興基金助成/配給=森の映画社/BOX OFFICE ◆ 第75回キネマ旬報文化映画第6位/'02年レティーナ映画祭(ハンガリー)準グランプリ[投票]
★0月の輪古墳(1954/日)岡山県勝田郡飯岡村(現・美咲町?柵原町?)の村民自身による月の輪古墳発掘運動の記録。'53年の発掘調査では、地元の人々を中心として全国からも学者・研究者・若者が集まり、のべ1万人が参加したと言う。この映画の文部省選定を、当時の荒木文部大臣が無理矢理撤回させ社会問題になったという。30min./白黒/16mm/製作=記録教育映画製作協議会 ◆ '54年キネマ旬報短篇映画第2位[投票]