コメンテータ
ランキング
HELP

[POV: a Point of View]
つぶやき続けた男・神代辰巳の仕事

日陰に咲く花のようなやさしさで、ひとの“生と性”を見つめつつ独り言をつぶやき続けた男。執拗に被写体を追い続ける視線は、女の強さと男の危うさを見る者に強烈に焼きつけた。70年代の作品では画と音声のミスマッチによる内面表現を試み、ついには映画表現そのものを破壊してしまう。83年の『もどり川』あたりでようやく表現スタイルの立て直しをはかり、劇場公開作品としては遺作となった『棒の悲しみ』へと至る。その遺作で独り言をささやき続ける主人公は、神代監督の化身のようにも見える。 (A・・60年代、B・・70年代前期、C・・70年代後期、D・・80年代前期、E・・80年代後期、F・・90年代)
A★3かぶりつき人生(1968/日)独特の長回しにはまだ明確な意図は感じられないが、ルーズな構成や展開は神代節の萌芽であり、「裸と性を武器に成り上がる上昇志向の女」と「だらしない母と娘の愛憎」という、後の作品の志向がはっきりと見えるのも面白い。まぎれもなく神代映画の誕生である。投票
B★5四畳半襖の裏張り(1973/日)愛が前提の性行為だけが正当だとか、貧困が性の奴隷を作る、などと言う幻想は純粋な肉体の欲求の前では何の意味も持たない。制度の下に隠蔽されている「本来のSEXと人間」を、神代辰巳宮下順子の肉体を使ってスクリーン上に再現してみせた。投票
B★5青春の蹉跌(1974/日)男の野心、女の打算。その行方を見据える冷徹な姫田真佐久のカメラ。井上堯之の音楽も良い。神代辰巳、非ロマンポルノの前期の傑作。 [review]投票(8)
B★5一条さゆり 濡れた欲情(1972/日)業界の権威として君臨するが故に警察権力の矢面に立たされ、かつ羨望の裏がしとして成り上がる若手から標的にもされる一条さゆりの矛盾に権利と権威の地続き的階級制のアヤが透ける。伊佐山ひろ子の憑かれたような目が怖い。それにつけても、ヒモ達の可愛いこと。 投票(3)
B★5恋人たちは濡れた(1973/日)逃げるという行為は行き場があってこそ成立する。しかし大方の逃避は、過去を否定することで未来までも失うという矛盾に気づかずになされる。「今」しか持たない男(大江徹)が迷い込んだ空回り回路に、女(絵沢萌子中川梨絵)たちも誘い込まれる。投票(2)
B★4濡れた欲情 特出し21人(1974/日)男が稼ぎ、女、子供を養うという形態が幸福の標準値になったのはいつ頃からだろう。どの時代にも、定住を前提とした定型からはみ出す生き方を自然に選んでしまう男と女がいる。そんな漂泊者達の存在を自然に受け入れる神代辰巳のまなざしが実にやさしい。投票(1)
B★4赤線玉の井 ぬけられます(1974/日)盲目的一途さをみせる宮下順子のシマ子が切なく、不遇と幸福の境目をなくした芹明香の公子もまた悲しい。閉塞的な新記録に挑む直子(丘奈保美)の無意味な意地と、もはや意地すらない繁子(中島葵)の諦観。森進一が唄う「花嫁人形」がすごい。投票
B★4女地獄 森は濡れた(1973/日)山中の館の闇に、そして男の背徳に依存しながら生きる女・中川梨絵。シーンごとに変わる口調と声のトーンに精神の不安定さがにじみ出る。不気味な好演。投票(1)
B★3やくざ観音 情女仁義(1973/日)神代作品で最も暴力描写の激しい一本ではないだろうか。清玄(岡崎二郎)の暴挙の数々に、その暴力の裏づけとなるべき怨念の深みがみえず田中陽造脚本との相性の悪さを感じる。やはり神代は憎悪ではなく人生肯定のユーモアを湛えた哀歓の人なのだ。 投票
B★3濡れた唇(1972/日)仕事干されへの反動か、前半は妙にかしこまった正当演出が続くのだが、唐突な刑事の発砲から始まる四人の逃避行は軽やかに現実社会を超越する。概念としてのしかかる女(絵沢萌子)を引き受けるには、現実か女のどちらかを捨てるしかないという男の苦悩物語。投票
B★3鍵(1974/日)「これから裸になるために、私、この映画出てます」感ありありの荒砂ゆきは、どう見ても古い道徳意識のもとに育ち性を抑圧された良家の婦人などには見えず、悲しいかなロマンポルノの限界と宿命を感じずにはいられない。それ以外は、良くも悪くも神代節。投票(1)
B★3四畳半襖の裏張り しのび肌(1974/日)ほぼ全ての性交が、布団の中でモゾモゾ行なわれるという確信的サービス精神の欠落は、「何も見えなくてもスケベなものはスケベだ!ざまあみろ!」という映倫への挑発ともとれる。劇中映画と「生」を競うかのような精気なき性の闖入者中沢洋の「生」の不気味さ。投票
B★2宵待草(1974/日)光りに対する不信感でもあったのだろうか。神代辰巳は、意識的に明部を避ける。活動小屋という暗闇に潜むテロリスト達の心の影と暗部を描こうとしたのかもしれないが、どう贔屓目に見てもこの映画は壊れている。投票
C★5赫い髪の女(1979/日)一歩部屋を出ると不安におののき、密室では一変して激しい性への渇望をあらわにする女。宮下順子の演技には、生への本能と活力が溢れている。『愛のコリーダ』とならぶ性愛映画の傑作。神代監督の充実ぶりは凄い。投票(6)
C★4悶絶!!どんでん返し(1977/日)エリート男が女となり、風俗女は男に男を奪われる。スケ番たちはチンピラの金づるに成り下がり、レズ娘は男を女と信じることで女に開眼し、勝気娘はスパルタ男との純情に走る。バカバカしいまでのどんでん返し合戦。でも男と女なんてそんなものかもしれない。 投票
C★4黒薔薇昇天(1975/日)これは純愛映画である。純愛は悲恋やプラトニックの中だけに存在するのではない。心ではなく身体の関係と割り切った行為のなかに、むくむくと頭をもたげる「やさしい嫉妬」という衝動。これこそ恋愛の本質ではないのか。これだから人間は面白い。投票(2)
C★4アフリカの光(1975/日)逃げ出さないということ。立ちはだかる障害に果敢に立ち向かうこと・・ではなく、自らが置かれた状況から落ちこぼれないようぶざまでもしがみつく。そんなネガティブなエネルギーの存在を忘れてはいけない。投票(2)
C★3遠い明日(1979/日)あの姫田ではなく原一民撮影のせいか、驚くほど神代臭のない素直な作りで、神代偏愛主義者には拍子抜けするほど見やすく分かりやすいのだが、それは長所でもあり短所でもあるという皮肉。当時の三浦友和は、ことのほか素晴しかったという30年ぶりの発見。投票
C★3壇の浦夜枕合戦記(1977/日)ロマンポルノとしては異例の長尺ながら前半はほとんど意味がなく、最後の30分で『四畳半襖の裏張り』もどき高貴バージョンへと昇華する。渡辺とく子熱演の、やんごとなき建礼門院の性的開眼は、当時進行中の日活ロマンポルノ裁判への皮肉ともとれる。投票(1)
C★3濡れた欲情 ひらけ!チューリップ(1975/日)男(石井まさみ安達清康)たちの成長譚に力点が置かれるのは理解できるのだが、カミソリと廻し蹴りで奮闘する芹明香はもとより、いま少し、女たちの心情への踏み込みが欲しいのだが、そんなバランスなど神代は確信的に無視しているふしがある。投票(1)
この映画が好きな人達

このPOVを気に入った人達 (7 人)worianne ぱーこ SUM picolax 町田 若尾好き マッツァ