[POV: a Point of View]
シネマスコープの歴史L'histoire du Cinemascope
(定義)シネマスコープとは、元来、20世紀FOX社の商標名であり、他社の同等製品を含めません。しかしながら、ヴィスタ、シネラマ等他のワイドスクリーン技術との明確な区分を図るため、ここでは敢えて慣例に従い、「シネマスコープの歴史」と冠することとします。識者の方にはご了承いただきたい。(概要)シネマスコープでは、標準縦横比1:1.33とされていたスクリーンサイズが、1:2.35〜2.55まで拡大されます。撮影時、映写時にそれぞれ、フランスで基礎が確立されたアナモフィック・レンズ(←これは一般名詞です)と云う特殊に研磨されたレンズを用い、画面の横幅を倍に引き伸ばすことで映像の拡大化を図るものです。アナモレンズが装着されたカメラで撮影された画像は、横幅が圧縮されています。映写時にこれを再び横に引き上すわけですが、このため撮影や現像に用いるフィルム、及びカメラは従来のものを使用でき、撮影システムの根本を入れ替える必要はありません。劇場としても横だけを延ばすわけですから、スクリーンを張り替えればいいだけで、屋根を高くするだとか、シネラマのように映写機を三台用意するだとかいう大掛かりな設備投資が不要となります。これらの理由からシネスコは登場から数年で一気に世界中に普及していきました。(歴史)シネマスコープの歴史は、フランスの科学者アンリ・クレティアン博士が発明したアナモフィックレンズ”シネパラノミーク”の技術を、アメリカの20世紀FOX社が買い取ったときより始まります。FOX社はボシュロム光学社と共同で、独自のシネマスコープ技術を開発し、1953年9月、宗教的題材を扱った大作『聖衣』で、実用化に成功します。一方、フランスでもシネパラノミークレンズを使ったワイドスクリーン技術が確立され、ディアリスコープ、フランスコープなどと命名、『水色の夜会服』で実用化に成功します。FOXは当初、自社の技術を独占し、一切の譲渡を認めませんでしたが、フランスはこのことに比較的寛容で、日本、イタリアを始め多くの映画先進国にその技術を輸出しはじめました。その為、録音部分の一部を削ることで撮影領域を増やし、1:2.55サイズを基本としていたFOX産シネマスコープは、フランスで基準とされた1:2.35サイズに駆逐され、妥協せざるを得ず、シネマスコープ=1:2.35が、一般的となっていきます。(欠点)シネマスコープには決定的な欠点がありました。それは画面左右の歪みです。この欠点を克服するため、撮影者の様々な工夫や、”ナチュラマ”などの新レンズが生み出されていきます。そして遂に’59年頃、パナビジョン社が決定的に優れた一体型アナモを開発、アカデミー撮影賞カラー部門を独占、アメリカ市場を席巻し、ボシュロム社はコンタクトレンズ開発に追いやられてしまいます。(周辺的技術の概要については次回更新以降、追記させていただこうかとかと思います)
A | 戦場にかける橋(1957/英=米) | アナモレンズを使用した作品としては初のアカデミー撮影賞受賞作品。1:2.35[撮]ジャック・ヒルドヤード | [comment] | |
A | 百万長者と結婚する方法(1953/米) | 20世紀FOX社のシネスコ第二回作品。1:2.55[撮]ジョー・マクドナルド | ||
A | 長い灰色の線(1954/米) | ジョン・フォード監督初のスコープ。コロンビア社製1:2.55 | ||
A | スタア誕生(1954/米) | ワーナースコープ1:2.55[撮]サム・リーヴィット | ||
A | ムーンフリート(1955/米) | MGM社製スコープ。フリッツ・ラング初スコープで見事撃沈?[撮]ロバート・プランク | ||
A | 掠奪された七人の花嫁(1954/米) | MGM社製スコープ1:2.55 | ||
A | 異教徒の旗印(1954/米) | ユニバーサル社製シネマスコープの作品。サイズは1:2.55。詳細不明 | ||
A | ピラミッド(1955/米) | ハワード・ホークス監督の初スコープ作品。ワーナー製1:2.55[撮]リー・ガームス / ラッセル・ハーラン | ||
A | ブリガドーン(1954/米) | シネスコレンズは当初世界で二枚しか無かった。初期型1:2.55[撮]ジョゼフ・ルッテンバーグ | ||
A | 聖衣(1953/米) | 1953/9/16 20世紀FOXが発表した世界初のシネマスコープ作品。初期型1:2.55[撮]レオン・シャムロイ | ||
A | アンネの日記(1959/米) | シネスコ発明者はコンタクトレンズのボシュロム社。アカ撮受賞作。[撮]ウィリアム・C・メラー | ||
A | エデンの東(1955/米) | 1955年、米全米映画協会はシネスコ技術の生みの親ボシュロム社にオスカー技術賞を授与。 | ||
A | 恋の手ほどき(1958/米) | シネスコ初期の名作。アカデミー撮影賞受賞作。1:2.35[撮]ジョゼフ・ルッテンバーグ | ||
A | 海底2万マイル(1954/米) | シネマスコープ初期型1:2.55。後にFOXは他社に妥協し2.35サイズにシフト。[撮]フランツ・プラナー | ||
A | 王様と私(1956/米) | CinemaScope55 とポスターにもデカデカ表記。55mmフィルム使用とのことだが詳細不明。 | ||
B | 大人は判ってくれない(1959/仏) | トリュフォーの初長編もディアリスコープ。1:2.35[撮]アンリ・ドカエ | ||
B | ローラ(1960/仏) | ジャック・ドゥミのデビューはフランスコープ白黒。予算の不足が主な原因らしい。[撮] | [comment] | |
B | 女は女である(1961/仏) | ゴダールにとって初のカラー作品であり初のワイド作品。フランスコープ。[撮]ラウール・クタール | [comment] | |
B | 歴史は女で作られる(1955/仏) | 1:2.55 | ||
B | ピカソ 天才の秘密(1956/仏) | 1:2.55 |
A:シネスコの生誕と代表的名作 B:フランス・シネパラミーク(シネパラミック)レンズ使用作品 C:シネスコの異端(1)スーパースコープ D:和製スコープ作品 E:Todd-AO方式 F:次世代スコープ・パナヴィジョンの登場 G:シネスコの異端(2)テクニスコープ H:その他
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