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[POV: a Point of View]
■ 溝口健二 スケッチブック ■
〜アヴァンギャルドからメロドラマまで 情念のリアリズム〜 失われた半島を求めて

溝口健二(1898〜1956) その58年の生涯の間に90本の様々なジャンルの映画を監督する。その徹底的な演技指導の結果、引き出される俳優たちの迫真の演技。特徴的なワンカット・ワンシークェンス(長回し)の手法により炙り出て来る無常観と、墨絵のように美しいモノクローム撮影。これらにより、今なお彼の後期の代表作である『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』、『近松物語』は世界映画史の大陸の中で燦然(さんぜん)と輝いている。サイレント時代から監督を始め、「新派劇」、「ドイツ表現主義」、「探偵もの」、「怪談もの」、「傾向映画」、「時代劇」、「芸道もの」と多種多様な映画に挑戦し、栄光と挫折(スランプ)を繰り返しながら後期に上記の傑作群を創り上げた。偉大な芸術家、溝口健二の業績を年代順に辿って行きます。(便宜上、時代を区分してみました。)●A 日活時代(1923〜1932) ●B 新興キネマ、第1映画時代(1932〜1938) ●C 松竹時代(終戦以前)(1938〜1945) ●D 松竹時代(終戦後)(1946〜1949) ●E フリーの時代(1950〜1951)●F 大映時代=黄金期(1952〜1956)■■■■サブコメント欄に全監督作90本!!の解説を記入します。題して、『溝口健二 フィルムグラフィー』 ■■■■同じくサブコメント欄に彼の人生の経歴を、後日書きます。『溝口健二 バイオグラフィー』(未)
A★4東京行進曲(1929/日)No46 流麗なタッチと質感のある人物の奏でる和音
A★0藤原義江の ふるさと(1930/日)No48 固定カメラを嫌うがため、溝口はパートトーキーとした。
A★0ふるさとの歌(1925/日)No28 現在、観ることの出来る溝口の最も古い作品。
B★5瀧の白糸(1933/日)No53 スケールの大きな堂々たるメロドラマ。妖艶である。
B★4浪華悲歌(1936/日)No60 聴く映画
B★4愛怨峡(1937/日)No62 凝視のカメラによる人間ドラマ
B★4マリヤのお雪(1935/日)No58 光と影のコントラストが際立ち、しかも柔らかなタッチ
B★4祇園の姉妹(1936/日)No61 古都の長い路地裏が哀感を漂わせる。
B★3虞美人草(1935/日)No59 裏切りと翻意
B★0折鶴お千(1935/日)No57 雨は二人を過去に誘い、悲劇を予兆する。
C★5残菊物語(1939/日)No65 ワンカット・ワンシークェンスが完成した記念碑
C★4宮本武蔵(1944/日)No71 武蔵小次郎、信夫、それぞれの佇まいの美
C★3名刀美女丸(1945/日)No72 刀を鍛えるシーンは厳粛かつユーモラス
C★2元禄忠臣蔵・前編(1941/日)No68 セットは立派だが、人物描写に欠ける。
C★0元禄忠臣蔵・後編(1942/日)No69 討ち入りシーンの無いシュールな忠臣蔵
D★5夜の女たち(1948/日)No77 映画の背後に暗くのしかかる戦争の影
D★4女優須磨子の恋(1947/日)No76 女優絹代の恋
D★3我が恋は燃えぬ(1949/日)No78 不健康な女の生態を描く方が画面が映えてくる
D★2女性の勝利(1946/日)No74 柔らかさがないと魅力的ではない。
D★2歌麿をめぐる五人の女(1946/日)No75 あの歌麿では、あの線は描けない。
■■『溝口健二 フィルムグラフィー』(全90本)■■/←作成中/(まるで観てきた風に書きますのでご容赦下さい。)■1『愛に甦る日』(1923 日活向島)フィルム現存せず。初監督作。美姉妹にふられた男が醜姉妹との愛によって精神的に甦るという新派劇。美醜をテーマにしている点が当時では斬新。■2『故郷』(1923 日活向島)フィルム現存せず。小作人と地主の対立を描く新派劇。■3『青春の夢路』(1923 日活向島)フィルム現存せず。男女のすれ違いを描くメロドラマ。女優を使う。■4『情炎の巷』(1923 日活向島)フィルム現存せず。女形を使った典型的な新派劇。見物席と舞台が巧みに交差するカットがある。■5『敗惨の唄は悲し』(1923 日活向島)フィルム現存せず。父なし子を産んだ女を漁村の村人たちが嘲笑し、結局家族は村を追われる悲劇。溝口の熱心さは伝わる映画。■6『813』(1923 日活向島)←観たい!しかしフィルム現存せず。何と、アルセーヌ・ルパンが登場する探偵もの。舞台を日本に移して描く。未消化な部分が随分あるが溝口の果敢な姿勢は買える。■7『血と霊』(1923 日活向島 サイレント)フィルム現存せず。日本初の表現主義的映画!背景の洋館が激しく歪んでいる!ストーリーも凝ったもので興味は深深。■8『霧の港』(1923 日活向島 サイレント)フィルム現存せず。深い霧が物語りの不条理性をしめしている。青島順一郎の撮影が的確で溝口の初期の代表作のひとつ。■9『』(1923 日活向島 サイレント)フィルム現存せず。犯罪映画。これも初期代表作のひとつ。先輩監督てある田中栄三からの影響で殺しの場面が凄惨。■10『廃墟の中』(1923 日活向島 サイレント)フィルム現存せず。関東大震災が発生し、何とか震災後の廃墟を利用して作られた際物「震災映画」。この破壊が自由恋愛思想に間接的に結びつく様を描く。■11『峠の歌』(1923 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。京都に移っての最初の仕事。父と子の相克を描くドラマ。やや低調との事。■12『哀しき白痴』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。痴情のもつれの末の転落ドラマ。評価は低い。■13『暁の死』(1924 日活京都 サイレント)軟らかなドラマ。何等メッセージを持たない無意味極まる作品と酷評されている。■14『現代の女王』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。ブルジョア夫人が青年の愛によって労働に目覚めるといった話。所詮、浮ついた話と酷評されている。■15『女性は強し』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。嫁いじめの姑、放蕩者の夫、貞淑な妻が出て来る典型的新派劇。平々凡々とこれまた、酷評されている。■16『塵境』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。恋愛ドラマ。浦辺粂子が二十一歳で主演している。(若い!)評価は不評。■17『七面鳥の行衛』(1924 日活京都 サイレント)私立探偵・星達彦が大活躍する『813』以来の活劇もの。少年探偵・瀬川を、後に名監督となる稲垣浩が演ずる。楽しめる内容との事。■18『さみだれ草子』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。淫蕩な僧侶の舞妓に対する醜い恋を描いた「怪談」もの。過激な内容のため東京で上映禁止になる。降りしきる雨の中での殺人の演出が絶賛された。(今日でもよく使われる手法!)スチール写真を見ると凄く迫力があり失われた至宝であろう。■19『伊藤巡査の死』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。鈴木謙作大洞元吾近藤伊与吉と共同監督。実在の殉職した警官のエピソードを早撮りしたもの。殉死美談は戦死美談と共通の根っこの上に咲いている。■20『無銭不戦 ウチェンプチャン』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。岡本一平の漫画から想を得て映画化したもの。『血と霊』の様にデフォルメされた美術が注目される。しかし、漫画としても喜劇としても毒々しく、中国人を侮辱する感じばかりで不愉快との評がある。■21『歓楽の女』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。家族離散の物語。ラストの部分は溝口後年の『夜の女たち』のそれの聖母子像を想起させる。■22『曲馬団の女王』(1924 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。曲馬団を舞台にした映画らしい。しかし大仕掛けの曲馬団は描かれず、だらしがなく、単なるアメリカ映画の模倣だと映画ファンからも酷評される。■23『噫特務艦関東』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。共同監督、和山治鈴木謙作。濃霧のため座礁した特務艦「関東」の遭難を映画にした「時事映画」。殉死美談映画であり、実感味も興味も緊張味も無いと甚だ不評である。■24『学窓を出でて』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。宣伝惹句に「飛行機使用/青春ロマンス」とあるが、「壮麗なるべき飛行機競技の貧弱さ」と、またもやファンから不評。■25『大地は微笑む 第一篇』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。もともとは村田実が監督する予定だった作品。第二篇を若山治、第三篇を鈴木謙作が担当。大学を舞台にしたドラマ。映画初出演の中野英治が鋭い眼光を武器に好演する。(中野英治氏は『ある映画監督の生涯』にも出て来るあのダンディーな青スカーフオヤヂ!)溝口はスランプから幾分の立ち直りを示した。■26『白百合は嘆く』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。ジョン・ゴールズワージーの小説「最初と最後」を日本に翻案した悲恋もの。評価は芳しくない。■27『赫い夕陽に照されて』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存せず。共同監督三枝源次郎、主演中野英治。有名な軍歌の一節を題名にした「日露戦争軍事探偵大活劇」。撮影開始後3日目に溝口が同棲中の女性に刺されたため、後は三枝源次郎監督が引継いだ。■28『ふるさとの歌』(1925 日活京都 サイレント)フィルム現存!←よかった!現在観ることの出来る溝口の最も古い作品。農村の生産生活の大切さを訴える文部省のプロパガンダ映画である。農民はリアルに、豪農はカリカチュアされて描かれている。(『1900年』!?)後年の長回しの溝口とは異なり短いカットと字幕がリズミカルに韻を踏む。■29『街上のスケッチ』(1925 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。オムニバス映画『小品映画集』の一編。二重露出、上下アイリスの使用等映像的に面白い。しかし、同時期に公開されたマルセル・レルビエ監督作品『エル・ドラドオ』を彷彿させるらしい。■30『人間』(1925 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。野心家の青年が長い遍歴の果てに、母のイメージを持つ女性に救われるという内容。完成作の評価は様々であるが、エキストラを上手く使っているとの鋭いファンの指摘がある。■31『乃木大将と熊さん』(1925 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。乃木将軍が登場する子供映画。笑いと緊張のメリハリを有し中々好評。■32『銅貨王』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。ランドン小説の『百万円の一銭』を映画化した「探偵もの」。幼稚でミスティックな描写に欠けていると評判は、すこぶる悪し。■33『紙人形春の囁き』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。田中栄三の脚本の出来が素晴らしく、『』、『夜の港』を第一の頂点とするならば、溝口の第二の頂点と称される名作!男女の愛欲、古きものの滅亡をテーマとした江戸下町情緒の溢れる一編。男女の抱擁や、雑踏を歩くシーンでの移動撮影の柔らかなタッチが極めて印象的。更に、二重露出のテクニックを多用したが、これは些か作品のテーマに合わない。■34『新説己が罪』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。新派悲劇の代表的作品である菊池幽芳の原作『己が罪』を、溝口が新解釈で映画化した。アメリカ帰りの女優砂田駒子を起用することにより、新派メロドラマの持つ暗いトーンを払拭した。この試みは大いに評価され、平凡な女性が受難を通して強い女性に変貌していくという、『浪華悲歌』、『愛怨峡』に繋がる溝口映画の原型が見てとれる。■35『狂恋の女師匠』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。溝口の代表作のひとつ。円朝の『真景累ヶ淵』を現代に移して映画化。怪奇なロマンの世界を美しく映し出しているという。この映画が現存していなくて本当に残念だ。淀川長治が評価する日本の映画監督について語りだすと意外に黒澤ではなく、まず溝口の名を挙げてくる。そして具体的に作品の話になると、『雨月物語』、『山椒太夫』ではなく、真っ先にこの『狂恋の女師匠』をこと細かに語りだす。サイレント期の溝口の上等な映画、例えば『滝の白糸』に見出せる大掛りで明晰なタッチと、『雨月物語』に感じられる生来溝口が持っている怪奇感覚を考えると、今観ても、際立った怪談映画に仕上がっているのではないか。惜しまれる。■36『海国男児』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。『激怒』、『海の野獣』といった当時のアメリカ映画に呼応して制作された「海洋活劇」。その評価は、危険なことをやっているが手に汗を握らせるものが無い、とキッパリ斬られる。残念〜!■37『』(1926 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。三遊亭円朝の落語を映画化した喜劇。淀みの無い進行。暢達(ちょうたつ)なギャグ。雰囲気の出たセットでの撮影。なかなか評判で溝口は「喜劇」も撮れるようだ!■38『皇恩』(1927 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。タイトルに人物にこれでもかコレデモカと忠君愛国を謳った「軍事劇」とある。貧しいがこころ美しい人々が生き生きと描写される。奇妙な所はこの映画の時代考証のデタラメさで、日露戦争当時にあるはずもない美容院やモガの断髪洋装が出て来る。露骨なイデオロギーの主張と見せかけて実はそのイデオロギーをカルカチュアする!そんな妙技かもしれない。溝口に戦争は似合わない。■39『慈悲心鳥』(1927 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。菊池寛の同名小説を映画化。中等教育を受けた知的な若い女性の愛・結婚・生き方を描いている。夏川静江が初々しく快活な女性を好演。溝口の巧妙な陰影のある撮影と、クライマックスごとにインサートした表現派的な演出も大いに評価された。■40『人の一生 人間万事金の巻』(1928 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。物語は、安月給取りの真面目なサラリーマンが、突然クビになる。養うべき妻子のことを思案するうちに彼は気が狂ってくるというもの。何とも侘しい話だが、千代紙細工を使った幻想シーンがあるという。■41『人の一生 浮世はつらいねの巻』(1928 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。狂った男は静養により回復する。しかし生活苦と闘うが疲れ果て、三度自殺するが三度失敗する。諦めて家に帰ると餅(もち)に命を狙われるる。?更に熊狩に出かけると、逆に熊にショッピかれる(笑)。悲劇とナンセンスが混交した変わったストーリーであるが不自然さは感じさせない作品。リアリズムと幻想の交錯したタッチはゴーゴリの小説に似ている。■42『人の一生 クマとトラ再会の巻』(1928 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。熊と生活していた主人公は、熊と死別する。主人公は都に出て見世物小屋で熊の皮を被って笑わせていた。ある日、見世物小屋に虎が現われ主人公は驚愕したが、何と虎は知人が入っていたのであった。奇しくも二人は見世物小屋で再会する(涙?)。漫画的なデフォルメと社会風刺のメスがある捉え難い作品。全くもって溝口健二は正体の掴みにくいスケールの大きな監督である。余談:「人の一生」、「浮世はつらいねの巻」、「クマとトラ再会の巻」と並べてみると『男はつらいよ シリーズ』を連想してしまうのは私だけでしょうか。『男はつらいよ』の知られざる意外な源泉かもしれない!■43『娘可愛いや』(1928 日活大将軍 サイレント)フィルム現存せず。題材、カメラ、脚色、監督、俳優全てが一級品であるが、これら全ての点で『肉体の道』、『最後の人』の模倣であると評されている。■44『日本橋』(1929 日活太秦 サイレント)フィルム現存せず。原作は泉鏡花の小説。物語としては、貧しい主人公の家では姉が妾となって生活を支え、その甲斐もあって彼は立派に出世する。姉は尼巡礼に身を落とし、彼は姉に似た芸子に恋をする。しかし、主人公は芸子の背後に居る男と縺(もつ)れ恋に敗れる。彼は僧となり、姉を探す遍路に出る、、、といった悲恋。この主人公の境遇は溝口のそれと重なり、姉への細やかな恋情が本編の中で綴らる。当時、エイゼンシュテイン等によるモンタージュ理論が提起され、その革新性に溝口は憧れた。その御本家エイゼンシュテインが歌舞伎を研究するために遥々ロシアの大地から来日している!これを知った溝口は感激し、あえて古い素材である『日本橋』を使い、オーバ−ラップやカットバックを多用したテンポのある斬新な手法の映画を撮りあげた。この映画の鮮やかな語り口を、かの淀川氏は絶賛している。■45『朝日は輝く』(1929 日活太秦 サイレント)フィルム現存せず。大阪朝日新聞が創刊50周年を記念して製作された宣伝映画。新聞記者が奮闘する活劇。新聞が出来るまでを実際に朝日新聞社内で撮ったシーンがあり、入江たか子がエレベーター・ガール役で御登場!■46『東京行進曲』(1929 日活太秦 サイレント)もともと102分のうち僅かに18分のフィルムが現存!ヒット曲『東京行進曲』の軽快なメロディーに乗って、東京の町並みの実写から(ルットマンの『伯林 大都会交響楽』の引用だろう)、滑らかにその大東京に住む市井の人々の葛藤と愛を描くメロドラマ。18分の小さな部分しか観ることが出来ないが、役者たちの演技が、同時期の他のサイレント映画における大掛りな独特のオーバーアクトとは異なり、リアルで真実性のあるの演技であった。溝口の演技指導の鋭さが垣間見える作品。■47『都会交響楽』(1929 日活太秦 サイレント)フィルム現存せず。貧富の差を描く「傾向映画」の代表作。プロレタリア(労働者)を描写した部分は検閲のため、全体の三分の一程もカットされて一般公開された。プドフキンの影響も顕わに、大富豪のクローズアップ、豚の顔、だらしない女の寝巻き姿、おかめの面と続く、大胆なモンタージュがある。この映画でもプロレタリアの姿は極めてリアルに、ブルジョア達はひどくカリカチュアされて描かれている。異常なカメラアングル、めまぐるしいフラッシュバック、異常な場面の変換等映画的技法が駆使されており、ラストシーンもクールな罵声で終わる、傑作の予感が充満した作品である。観たい!■48『ふるさと』(1930 日活太秦/ミナトーキー パートトーキー)フィルム現存!溝口初のトーキー(発声)映画。音楽中心のアメリカ映画に反発した溝口は、物語を重視し映画的手法を駆使するため、パートトーキー方式を採用した。当時のトーキーの場合、カメラはクランクの音が入らないようにブースの中に入っていたため動きに自由さを欠き、固定したカメラが延々と同じ場面を写していく為である。溝口のこだわりは大いに買える。■49『唐人お吉』(1930 日活太秦 サイレント)フィルム現存せず。溝口初の時代劇。幕末ハリスが来日して貿易協約を結んだ時に所望されたお吉の悲恋を描いたもの。『日本橋』のロマンチシズムと『都会交響楽』のリアリズムが融合して、これ以降の作品の源流に成ったといわれる名作。「唐人お吉」のエピソードには興味があるし、スチルで見る梅村蓉子は和的に綺麗だし、激しく観たいのれする。■50『しかも彼等は行く』(1931 日活太秦 サイレント)フィルム現存せず。大恐慌の下で増加した浮浪者を背景に撮られた「ルンペン映画」←このネーミングも何だかな。下村千秋の同名小説を映画化したもの。一種の傾向映画であり、切れ味のあるカット、意表を突いた構図などが効果的で、冷たい社会批判が煌めいていると好評。なお「ルンペン映画」は当局の弾圧により、2、3年で消滅した。■51『時の氏神』(1932 日活太秦 トーキー)フィルム現存せず。溝口2本目のトーキー映画。ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』等のトーキー・オペレッタに刺激されて作製された。ファース(笑劇)の線を狙っているが、妻が家出をする場面で『カチューシャの唄』、妻を連れ帰るのに失敗した夫の姿に『ストトン節』を被せている。その音楽の使い方は「下司、下品、信じられな〜い!」 と悪評。■52『満蒙建国の黎明』(1932 新興キネマ・入江プロ・中野プロ サイレント)フィルム現存せず。溝口が日活を辞め、新興キネマに入ってからの最初の作品。満州国建国そのものを映画化したスケールの大きな作品。中国・蒙古に大規模なロケーションを行い、長時間かけて完成した。溝口は力を入れて撮影したが、無茶苦茶に量を撮りすぎて編集が出来なくなり、雲隠れをしたというエピソードが残る。(何とも凄い!)物語としては、清朝滅亡後、皇帝の妹「彩鳳姫」(『ラストエンペラー』の妹!?)は清国復興の機を狙い、スパイ活動その他を精力的に行い、日本軍も蜂起して結果として満蒙建国が叶うという大ドラマ。マタハリ然としていて洋装も煌びやかな「彩鳳姫」=入江たか子が妖艶で魅力的。この映画も観たいな(叶わぬ夢)。■53『瀧の白糸』(1933 入江プロ サイレント)フィルム現存!泉鏡花の小説『義血侠血』を映画化した作品。今日の感覚で捉えてみても、充分に楽しめる物語の落差の激しい、しかも日本情緒の香る大メロドラマ!入江たか子が白糸を熱演しかつ美麗である。北陸一の美人とも呼ばれる水芸人瀧の白糸。白糸は旅興業先で知り合った苦学生・村瀬の男らしい媚びない性格と将来性に惚れこみ、村瀬の為に仕送りをして法律を学ばせる。しかし、苦労して貯めた金を奪われ逆上した白糸は犯人を刺殺して、逮捕される。彼女を裁くために法廷に現われたのは、検事として立派に成長したあの村瀬だった。ジレンマに苦しむ村瀬は、ついに決断し、白糸に死刑を宣告する。白糸はその場で舌を噛み、村瀬も思い出の橋の下でピストル自害する。(美しい女に命がけの恋をした果報者の対価として、風雨に晒され続ける村瀬の屍)。( )は検閲で削除の部分。■54『祇園祭』(1933 新興キネマ サイレント)フィルム現存せず。『瀧の白糸』の大ヒットを受けて撮られた、同じ路線の日本情緒溢れるメロドラマ。撮影の三木稔、美術の水谷浩と後の「溝口組」常連スタッフが参加した。ロング・ショット(引き画)の中で人物の動きを静的に振付け、画面の空白部分に大道具、小道具、人物等を美的に配置。当時では斬新な全てが京都弁のインター・タイトル(字幕)。古都の風情が醸し出され映画は好評であった。なお、この物語もラストは厳しい悲劇に終わる。                                                               ■■『溝口健二 バイオグラフィー』■■/←作成中/■1898年 溝口健二、東京に生まれる。父に経済力が無く、貧しく育てられる。溝口が17歳の時に、母が病死。母を追慕する情が強まるにつれて次第に、父への反感の念が溝口の中で増幅していく。『浪華悲歌』における山田五十鈴の冷たい感じの父親は溝口の父がモデルであると言われている。姉は日本橋の芸者となり、やがて子爵家に落籍される。母の死後、姉は溝口の生活の面倒をみる。溝口の姉への思慕の情は、後に『日本橋』(1929)で細やかに描かれる。■1920年(22歳) 日活向島撮影所に入社、監督助手になる。■1922年(24歳) 監督に昇進。処女作『愛に甦る日』■1925年(27歳) 『赫い夕陽に照らされて』を撮影中、同棲していた女性にカミソリで斬りつけられるというスキャンダルがおきる。溝口は女性を追って東京に行きヨリを戻すが、生活に困窮した彼女は、洲崎の娼妓に身を沈めた。溝口は9月に京都に戻り日活に復社。あの事件以来、溝口の女性に対する執拗なまでの凝視が始まった、との助監督の証言がある。■1926年(28歳) 『紙人形 春の囁き』、『狂恋の女師匠』など江戸町情緒の溢れる作品でスランプを脱する。二十代にして日本映画の巨匠の仲間入りを果たす!■それから、結婚、好調期、スランプ、戦争とか いろいろあって、、■1951年(53歳) 東洋で初めて、黒澤明の『羅生門』がヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲る。後輩に先を越された!溝口健二、本気モードになる。←(淀川長治氏談!) ■1952年(54歳) ヴェネツィア映画祭開催。溝口の渾身の力作『西鶴一代女』が国際賞を受賞!以後溝口はそのテンションを持続し、気迫溢れる作品を連発して、世界の巨匠に昇りつめていく。                                   ■■ おまけ 『溝口健二をめぐる三人の男』■■/完了/■1ジャン・リュック・ゴダールの場合 ゴダールは好きな映画監督を三人教えて欲しいとの問いに、あの物静かな男が『ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ』と連呼した!更にゴダールは『軽蔑』のラストの移動撮影が『山椒大夫』へのオマジージュであると公言している。■2フランソワ・トリュフォーの場合 トリュフォー浦山桐郎との対談で、日本映画の中で一番感銘を受けた作品として『雨月物語』を挙げた。トリュフォーは『雨月物語』の撮影テクニックに衝撃を受け、実物のフィルムを手で取り逐一、目で確認していった。■3ピーター・ボグダノヴィッチの場合 ボグダノヴィッチは自著の中でこう記している。「古今東西の映画を見直して思うに、西にフランスのジャン・ルノワール、東に日本の溝口健二を超える映画監督はいない。見事さの点で『大いなる幻影』、『ゲームの規則』、『フレンチ・カンカン』、『雨月物語』、『山椒大夫』、『楊貴妃』を超える映画はないし、もしあるとするならば彼ら二人の他の映画になるだろう。」
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