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[POV: a Point of View]
アジア的遊撃者
「今」を撮るということ

アジアの映画が一定量で日本に紹介されるようになったのは、おそらく80年代からだと思う。実は、アジア映画はあまり観ていなかった。ここ数年かけて、過去に遡って目ぼしい監督たちの作品を後追いで見続けている。実に楽しく充実した体験の連続だ。80年代に紹介された監督は、すでに評価も定まり、それに見合う実績を残している人たちばかりで、これはこれで面白い。しかし、やはり最もエキサイティングなのは90年代以降に、デビューした監督たちだ。彼らは、「今」を撮らなければならないという「何か」を強烈に発散している。それは、例えばツァイ・ミンリャン(A)やキム・ギドク(B)の突き進むようなパッションだったり、自らの置かれた状況を懸命に撃とうとするジャ・ジャンクー(C)やバフマン・ゴバディ(D)のある種の切実さや使命感だったりする。日本にも、こういう作家がいないものかとさんざん考えたのだが、なかなか思い浮かばなかった。ようやく思い至ったのが山下敦弘(E)だ。この人の作品が醸し出す「噛み合わなさ」や「届かなさ」は、やはり「今」を象徴しているのではないかと思う。
A★5西瓜(2005/仏=台湾)乾ききった女たちは西瓜を抱え込み、その赤く熟れた擬似的肉体でしか潤いを求められず、ペットボトル一本分の潤いしかもたらすことのできない男は、作りごとの交わりに虚しく空撃ちを繰り返すのみ。極彩色に染められた歌とダンスの狂乱は毒茸の美しさを漂わす。 [review]投票(4)
A★5Hole(1998/台湾=仏)ゴキブリ女の悲痛な鳴き声に、我をなくして雄叫び号泣で応えるブリーフ男。一条の光のように天の穴から差し伸べられた生身の綱のなんと無骨で荒らしく逞しいこと。孤独の壁を突き崩し、穴を開けることができるのは感情の爆発に裏打ちされた肉体しかないのだ。投票(1)
A★5楽日(2003/台湾)大変なものを見てしまった気がする。物理的に外から隔てられた内側という空間。見つめ続けるという行為と、そのとき聞こえてくる音。怪しく闇に蠢く人間たち。深い思いと届かぬ願い。そんな「映画」の本質のようなものが確かにこの作品には映っていた。 [review]投票(5)
A★4愛情萬歳(1994/台湾)孤独は人から喜怒哀楽という感情を奪う。喜怒哀楽は他者との関わりの中で起きる精神の自然な発露であり、必ずそこに肉体が関与しなければ得られないSEXの悦びとは別のものだ。だから人は、孤独に耐えられなくなったとき自らを救うため負の感情を爆発させる。 [review]投票
A★3ふたつの時、ふたりの時間(2001/台湾=仏)ヌーベルバーグの亡霊はミンリャンをも呪縛する?。本作が捧げられた「亡くなった父」とはトリュフォーのことでもあるのだろうか。時間と空間差の取り込みが形式的かつ表層的で、いかにオマージュとはいえパリという舞台設定に強引さが残り唐突感が否めない。投票(1)
A★3河(1997/台湾)突如激流に巻き込まれたのであれば救いを求めて声も上げよう。しかし、その流れが余りにも緩やかで、自らも気づかぬうちに時の過ぎ行くまま宛ても知れず、あらぬ方向へと流されているとしたら・・・。家族の孤独には、取り戻すことのできない時の流れを感じる。投票
A★3黒い眼のオペラ(2006/台湾=仏=オーストリア)視点の固定と台詞の排除、そして最小限の物語性がツァイ・ミンリャンのスタイルだが、本作は後者があまりにも先鋭化してしまいシャオカン、ラワン、シャンチーの関係が希薄で意味不明。これでは、せっかくのラストショットに込められた想いが伝わってこない。投票
A★0青春神話(1992/台湾)
B★5受取人不明(2001/韓国)同胞同士で殺し合い、気付いてみると巨大な何ものかに侵食されていた世界。生まれながらにして先の見えない閉塞状況の中に置かれ味わう苦悶。やっと若者達が生きる意義を見出したとき、その意志が負の力となって昇華していくさまが痛ましい。悲しい青春映画だ。 [review]投票(4)
B★5悪い女 青い門(1998/韓国)男の欲望は罪なのか。ならば男たちの罪を、罰するのではなく、許す行為とは正当な癒しなのか。ジナ(イ・ジンウ)の童顔の下に隠された無意識の意志は、慈愛なのか虚無がなせる業なのか。差し出されるジナの肉体は救済の方舟なのか、ただの抜け殻なのか。 [review]投票
B★5魚と寝る女(2000/韓国)心の痛みを肉体の痛みと直結させて描くキム・ギドクの映画作法は、それを形式的に描いて済ますあまたの作品群への悪意あふれる戦術的挑発ではなく、ギドク自信の悲痛から発せられた本能的な叫びのようにみえる。もし、そうだとしたら恐ろしい表現者だ。投票(1)
B★5サマリア(2004/韓国)少女が少女に残したものは、大人のけがれ。大人は少女に何を残せば良いのだろうか。苦悩する父親(クァク・チミン)の姿にキム・ギドクの姿がだぶる。そこには、悩み彷徨いながらもほとばしる想いを奔放に表現してきた者が到達した自信と決意が見える。 [review]投票(2)
B★4弓(2005/韓国)「性」ではなく「生」への激しくも素直な固執。それは、過ぎ去った人生を悔悟の積み重ねとしてではなく、大海と大空の間で弓の音とともに生き続けようとする老人の自然体の発露なのだ。頑なさが醜から美へと昇華されていく船上での艶やかな儀式は圧巻であった。 [review]投票(1)
B★4うつせみ(2004/韓国=日)人が人を愛するということは、その人の何を愛するのだろうか。目に見えるカタチだろうか。はたまた、その人の存在そのものだろうか。カタチの無いものは存在しないのと同じなのだろうか。では愛する人がこの世を去った瞬間、その人への愛は消滅するのだろうか。 [review]投票(3)
B★4悪い男(2001/韓国)人には人を愛し始めるときの手順があり、人が人を愛する方法にはカタチがある、などというのは唯の幻想にすぎない。量産され消費されるだけのマニュアルどおりの愛など、本当はどこにも存在しないのだ。そんなキム・ギドクの声が聞こえる。投票(2)
B★4ブレス(2007/韓国)引力の物語である。男が男に引きつけられたのは愛への欲望という力であり、男が女を引きつけたのは「死」への渇望という力だ。そして死を共有する二人の間をやがて「愛」が結ぶ。監視カメラの視点はギドクの目か、いや神の目だろうか。俗っぽく意地の悪い目だ。投票(1)
B★3鰐〈ワニ〉(1996/韓国)既成倫理を挑発するかのように冒頭から発散される自由奔放な内面感情。後の作品で噴出する暴力と痛みをたっぷりと内包したギドク特有のロマンチシズムの萌芽。生命を放棄してまでも、自らの最も美しい時を保持し永遠を獲得するということ。水中花を想起した。投票(2)
B★3ワイルド・アニマル(1997/韓国)荒削りだった第一作に比べ、この二人の男の友情物語は意外にも整然と展開される。行動は台詞で意味づけされ、描かれる暴力に突発性はない。後の作品で噴出する悪意も物語的計算の範疇内で行儀よい。ギドク作品を遡って見る身にとって、いささか拍子抜けではある。 [review]投票
B★3コースト・ガード(2002/韓国)標的を見失った憎しみの物語。女の憎しみは延々と海岸を彷徨い続け、敵へと向けられていたはずの男の憎しみは、根拠をなくしたあげく海岸を彷徨うことすら拒絶される。人間が一旦抱き、それを生きる目的として抱え込んでしまった憎しみのなんと重苦しいこと。投票(2)
B★3春夏秋冬そして春(2003/独=韓国)湖上の庵の造形や般若心経のエピソードなどは、宗教が持つ独善的傲慢さがなく地に足のついた慎ましい神秘性を漂わせ好感が持てるのだが、観音菩薩のくだりはあまりにもオリエンタル趣味。欧州資本とキム・ギドクの無邪気さがあいまって凶と出た感がある。 [review]投票(3)
■〈A〉ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)・・・1957年、マレーシア生まれ。20歳で台湾に渡る。大学演劇科在学中から舞台活動で注目される。その後、映画の脚本、テレビの監督・脚本を手がけ1992年に映画監督デビュー。 ■〈B〉キム・ギドク(金基徳)・・・1960年、韓国、慶尚北道生まれ。農業学校を卒業後、工場勤務、海兵隊生活を経験。シナリオ作家協会映像作家課程を修了後、渡仏し絵画を学ぶ。数々のシナリオ賞受賞後、1996年に映画監督デビュー。 ■〈C〉ジャ・ジャンクー(賈樟柯)・・・1970年、中国、山西省生まれ。美術学校で油絵を学びながら小説を執筆。北京電影学院を経てインディペンデント組織でビデオ・ドキュメンタリーや短編映画を手がけ、1997年に映画監督デビュー。 ■〈D〉バフマン・ゴバディ・・・1969年、イラン生まれのクルド人。大学で映画製作を学び、卒業後は写真家となり8mm短編映画を製作。アッバス・キアロスタミ作品に助監督・俳優として参加。 2000年に映画監督デビュー。 ■〈E〉山下敦弘・・・1976年、愛知県出身。高校在学中よりビデオ短編を制作。大阪芸術大学映像学科時代に熊切和嘉監督作品にスタッフとして参加。1999年、卒業制作として撮った初長編で映画監督デビュー。
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