A | ★5 | 怒りの葡萄(1940/米) | 現実に貧乏な時代に作られたからこそのリアリティと現実に家族が固い絆で結ばれていた時代だからこその感銘が抜きん出ている40年代フォードの貧乏アメリカ3部作の初作にして最高作。トーランドの撮影も特筆もの。 | 投票(4) |
A | ★5 | 汚名(1946/米) | シークェンスでもなくシーンでさえもなく、唯の1ショットが映画の永遠性を担保する。正味、脳髄までもが打ち震えるような「手の鍵」。ままごとめいたスパイ映画であるからこそ否応なく表出されるヒッチ独壇場のハッタリ。勿論、キスシーンも同格。 | 投票(2) |
A | ★5 | 荒野の決闘(1946/米) | 散髪後にボーッと柱に足をかけて椅子をくゆらすフォンダの風情に感じる束の間の安息やクレメンタインとの慣れないダンス。肺病のドクや悪たれ親爺クラントンも各々味わいあるが、この映画に描かれた男たちの安らぎには涙を禁じえない。 | 投票(1) |
A | ★5 | 市民ケーン(1941/米) | ヒッチ的マクガフィンと等価の「バラのつぼみ」。ケーンはウェルズに本気で語られる対象ではなく、己の内の圧倒的表現渇望を吐露する方便でしかない。真の天才とキャリア終焉期の老獪な撮影者との邂逅。パンフォーカスに留まらぬ超絶技巧の釣瓶打ち。 | 投票(1) |
A | ★5 | 第三の男(1949/英) | 手法は模倣され尽くしたとしても時代は模倣できない。4ヶ国が統治し中世と近代がシンクロする敗戦国を舞台に持ってきた刹那感と情緒。ウェルズ・クラスカー・カラスと3枚揃った伝説。どう足掻いたって再現不可能な完全無欠のノワール。 | 投票(3) |
A | ★5 | 暗黒街の弾痕(1937/米) | 悪循環に止め処なく墜ちてゆくことに些かも情緒的でない。後世の多元的で錯綜した構成の『俺たちに明日はない』に比し初源的で単眼的なのだが、原理的な表現主義ショットが鋭利に冴えまくるのだ。『羊たちの沈黙』にもこれの残滓が窺える。 | 投票(2) |
A | ★5 | 大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日) | 焼跡の残滓も生々しく先行真っ暗な戦後不況真っ直中の日本でも、子供は純粋且つ強靱であり女房は優しく包容力があった。信じ難い理想郷を見たという驚きに充ちた驚愕の90分間。緩やかに移動するロングショットでさえ制度内の小津神話を覆して余りある。 | 投票(3) |
A | ★5 | 丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | 大河内の殺陣に潜む狂気な殺気と喜代三の骨身から滲む玄人臭。「日々平安」なプロットは本物イズムに担保され瞬時も緊張は途切れない。パロディに臨んで諧謔の中に鋭利を差し込む山中イズムの後世への波及。マスターピースとはこういうのを言う。 | 投票(3) |
A | ★5 | モダン・タイムス(1936/米) | ラング・クレールの延長線上に立脚したチャップリン集大成にして最高到達点。工場とスケートリンクの至宝級の芸に加えて「悪声」の不協和音爆弾が歴史を刻印する。ドライなユーモアと程良いペーソスが絶妙の配合。完璧である。 | 投票(4) |
A | ★5 | キートンの探偵学入門(1924/米) | 時制と空間を支配しようとする強固な意志とそれを為し得る技と力。勃興期の映画の数万哩先に数十年早く到達した奇跡。見たときは捜し物を見つけた気がした。問答無用なテンポの快感に末梢神経の先まで覚醒させられる。 | 投票(2) |
B | ★5 | カビリアの夜(1957/伊) | ジェルソミーナの延長にあるカビリアだが描く視点はより冷徹でてらいがない為、かえってストレートに感銘を呼び起こす。聖母寺院の参拝シーンのいかにもなバロックテイストに『甘い生活』へと向かう巨視感の片鱗がが垣間見える。その折衷感もまた絶妙なのだ。 | 投票 |
B | ★5 | 終着駅(1953/伊=米) | 圧殺されるかの如き時間の切迫と同期する主役2人の別れる別れないの粘着情念の表出と、錯綜する大伽藍ローマ駅構内で行き交う人々の絢爛たる人間絵巻。その構成の妙に滲むイタリア映画の強烈な伝統的芳香。アルドのモノクロ撮影の望遠使いも完璧。 | 投票(1) |
B | ★5 | ショウほど素敵な商売はない(1954/米) | いろんなこのがあったけどやっぱりこの人生もショウという生業も最高さ!とばかりに一切のケレン無く確信的にステージ上のショウを徹底して見せまくる一大クロニクル。一家5人のプロ芸に対してモンローの天然のオーラも絶妙な神話的付加効果を与えた。 | 投票 |
B | ★5 | 情婦(1957/米) | どんでん返しが巧緻であるだけに止まらない。小道具・大道具への偏執的拘りと演技陣の神懸かりなアンサンブル。ロートンは自家籠中の役を極めつけで演じ映画を文字通り背負うが、それよりもディートリッヒの欧州の退廃を滲ませた奥の深さに参った。 | 投票(1) |
B | ★5 | 近松物語(1954/日) | 溝口のと言うより日本映画の頂点を極める独立最高峰。宮川が印画した滋賀山中の朝靄と水谷が誂た商家の薄暗い奥座敷での衣擦れ。依田がセットする偶発の運命翻弄と沈殿の底より浮び上るパッショネイトな意思の昂揚と堕ちる悦び。至宝の融合。 | 投票 |
B | ★5 | 灰とダイヤモンド(1958/ポーランド) | ネオリアリズモな乾いた即物感と詩的なケレンが混在して統制されている。戦車と民衆の混乱のリアルな市街から隔絶されたホテルのバーの文学的静謐。その構成の妙。挫折感の表現も充分恒久耐性を持つが、それでもチブルスキーの華こそが永遠性を付与した。 | 投票(1) |
B | ★5 | 麦秋(1951/日) | ルーティーンから半歩外したキャストの仄かな新風も完膚なきまでの手法の絶対世界で牛耳られる快感。編集リズムの極致的快楽のみでも個人的には全き小津ベスト。豊穣な侘び世界は辛らつな寂びの詠嘆に連なる。その諦観は真に美しい。 | 投票(2) |
B | ★5 | ベリッシマ(1951/伊) | 思いこんだら視野狭窄に陥りひたすらに猪突猛進するが何時か気付いて一気に退いてしまう。しかし間をおけば又ぞろ同じ事を繰り返すだろう…そんな女の愛しき性を肉体と魂で叩き付けるアンナ・マニャーニが最高。ヴィスコンティの職人技も極まる。 | 投票(1) |
B | ★5 | 北北西に進路を取れ(1959/米) | メイソンアジトや国連本部の偏執的直線造形はグラントの緩さでバランスを取らねばキツすぎる。マクガフィンのみで成立した究極のカスムービーは強固な確信で純粋映画領域へ突入。しかし、真の驚愕は非スタジオでの複葉機シーン構築力。力量とはこれ。 | 投票(1) |
B | ★5 | 羅生門(1950/日) | 脚本の徹頭徹尾なロジカル構成に対し、演出のパンフォーカス多用の人物配置は当意即妙で、パッションとエロスの発露に稀代の才能が2枚揃い、リリカルな瞬時の詩情をカメラは変幻に抽出する。真の天才的職人たちの奇跡のコラボレーションは最早伝説の領域。 | 投票(3) |